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研究開発プロセスのデジタルトランスフォーメーション
―クラウド・AIネイティブ時代の研究開発プラットフォーム―

はじめに

これまでの製造業において、研究開発力は競争優位性を決定づける重要な要素の1つであった。しかし、近年のデジタル技術の発展により、優れた研究開発力に加えて、その力を最大限に引き出す研究開発環境の高度化が、企業の競争力を大きく左右する時代が到来している。同じ研究開発力を持っていたとしても、デジタル技術により試行錯誤を高速に実行(ハイサイクル化)できる環境があれば、成果の質とスピードを格段に向上させることが可能となる。とりわけ、“クラウドネイティブ”、“AIネイティブ”な研究開発基盤を構築し、研究者がハイサイクルに成果を創出できる環境の整備が、企業競争力の鍵となっている。本稿では、オムロンの研究開発におけるクラウド開発環境と生成AI活用環境の構築に対する2つの具体的事例を通じて、この変革の実際をご紹介したい。

1. クラウド開発環境“RDinX”

1.1 ハイサイクルな研究開発を実現するクラウド開発環境の現状

オムロンは、生産工程を自動化するファクトリーオートメーション(以下、FA)をはじめとして、ヘルスケア、デバイス&モジュール、社会システム、エネルギーソリューションなど多岐にわたる事業を展開しており、オムロンの研究開発部門はこれらの領域における先端技術開発を担っている。特にFAやエネルギーソリューションにおけるパワーエレクトロニクス分野では、熱設計の最適化にComputer Aided Engineering(以下、CAE)および最適化技術を積極的に導入することで、従来の熟練設計者の経験と試作の反復による設計プロセスから脱却し、設計工数の大幅削減を実現してきた。

しかしながら、CAEや最適化技術の活用には高スペックの演算リソースが大量に必要となる一方で、研究開発現場では依然としてパーソナルコンピュータ(以下、PC)などのハードウェアに依存した従来型の研究開発環境が主流であった。こうした環境下では、大量のハードウェアPCの調達から実験を実行可能な状態にするまでに数ヶ月のリードタイムを要し、さらに各PCへの環境設定も手作業で行う必要があるため、研究開発の開始までに相当の時間と工数が費やされる課題が顕在化していた。

1.2 オムロンでのクラウド開発環境の構築とその課題

この課題を解決するため、オムロンの研究開発部門はAmazon Web Service(以下、AWS)クラウドを活用した高スペックPCの仮想化に着手した。クラウド上の仮想環境では、研究者が必要なときに必要な量の演算リソースをほぼリアルタイムで調達できるため、いつでも望む実験を遅滞なく実行できる環境の実現が可能となる。

しかしながら、研究開発環境を仮想化するには、ローカルネットワーク上にあるオンプレミスの研究開発環境をクラウド上の仮想空間へ移行するという発想の転換が求められ、その実現には2つの重要な課題が存在した。

1つ目の課題は、セキュリティ設計である。研究開発プロセスで生成される実験データやその分析結果は、オムロンの競争力の源泉となる技術資産であり、高度な機密性を有する。従来のローカルネットワーク上のオンプレミス環境においては、本社IT部門が構築した堅牢なセキュリティ設計で保護されていたが、これをクラウド上に移行する際には、同等以上のセキュリティレベルを確保する必要があった。

2つ目の課題はコスト最適化である。クラウド上の仮想PCは、そのスペックと利用時間に応じた従量課金方式を採用しているため、無計画な利用はコストの急激な増大を招く恐れがある。したがって、研究開発の自由度と柔軟性を確保しつつも、適切な利用管理によるコスト抑制の仕組みが不可欠であった。

これらの課題に対し、オムロンの研究開発部門では以下に述べる対策で、研究者にとっての利便性と、研究開発の質・スピード向上を両立する環境「RDinX(R&D infrastructure on Cloud Systems)」を実現した。

1.3 課題への対策

1.3.1 セキュリティ設計への対策

RDinXの特徴は次の2点に集約される。

1つ目は、オムロンの情報セキュリティルールに徹底的に準拠したセキュリティ設計である。RDinXの開発にあたっては、当社の情報セキュリティルールで規制されている事項を詳細に分析し、これらを構想設計に落とし込んだ。「利便性とセキュリティの両立」を設計コンセプトとすることで、オムロンの研究開発DX基盤となることを目指した。研究開発を後押しする使いやすいクラウド環境を迅速に提供したいという要請がある一方で、多数のチームによる環境利用に伴うセキュリティレベルの低下や、運用作業の増加による提供スピードの遅延が懸念された。通常、AWS環境を構築する際には「アカウント」と呼ばれる管理単位を用途ごとに複数準備することが推奨されている1)が、RDinXの利用拡大のスピードを維持しつつ、セキュリティ設定の統一性を確保することが技術的課題であった。

この課題を解決する手段として採用したのが、「AWS Control Tower2)」の戦略的活用である。Control Towerは、AWSが数千の企業との連携を通じて確立したベストプラクティスに基づき、複数アカウントを効率的に管理する機能を提供するサービスである。特に、代表アカウントから全アカウントに対してセキュリティ設定を一元配布する機能を活用することで、セキュリティ設定の迅速な統一が可能になることが採用の決め手となった。実装にあたり、クラウド特有のセキュリティルールについてはAWSが提供する「ガードレール3)」を精査して最適なものを採用し、当社固有のセキュリティ要件については詳細な分析を行い、クラウド環境設定として体系化した。

この仕組みは期待通りに機能し、セキュリティ設定を完備したアカウントを研究開発部門や協創パートナーに短期間で提供することが可能となった。「利便性とセキュリティの両立」というコンセプトを具現化したこの設計は、日本で初めてControl Towerを本格活用した事例としてAWS社公式サイトに掲載されるなど、その先進性が高く評価されている4)。研究開発部門の研究者向けには、専用のポータルサイトを構築した。研究者は仮想PCが必要になった際、このポータルサイトにアクセスし、必要なCPU/GPUのスペック、メモリ容量などを指定するだけで、わずか5分程度で仮想PCを利用開始できる。払い出される仮想PCには前述のセキュリティ設定が自動的に適用されるため、研究者はセキュリティ設定を意識することなく、安全な環境で研究活動に専念できる。また、環境設定を含めたマシンイメージの複製機能により、複数の仮想PC導入時における設定作業の重複も解消された。

1.3.2 コスト最適化への対策

2つ目は、コスト最適化を目的としたシステム設計と運用プロセスである。コスト最適化を実現する上で最も重要な要素は、利用実態の正確な把握である。すなわち、研究者がいつ、どのようなスペックの仮想PCを何台、どれくらいの頻度と時間で利用するかを見極めることが不可欠であった。

オムロンの研究開発部門では、これらを明確にするためRDinXのトライアル運用を実施し、仮想PCの利用実績を詳細に分析した。その結果、AIや最適化のためのトレーニング実行時には大量の仮想PCリソースが必要となるものの、それ以外の用途ではリソース需要が限定的であることが判明した。また、クラウド上の仮想PCは稼働時間に応じた課金体系であることから、未使用時に確実に電源をOFFにすることで、コストを効果的に削減できることが確認された。

一般的なクラウド利用のコスト削減策としては、社内アカウントの集約によるボリュームディスカウント、AWS社が提供するReserved Instance5)やSavings Plans6)などのコスト削減オプションの活用が挙げられるが、オムロンの研究開発における利用実態分析の結果、これらの対策以上に、未使用時の確実な電源OFFがコスト削減に大きく寄与することが明らかとなった。

この知見に基づき、独自の仮想PC管理コンソールを開発した。このコンソールにより、指定時間帯のみ仮想PCを稼働させる、あるいは特定の時間帯に自動的に電源をOFFにするなどの細やかな設定が可能となった。これにより、例えば「休日夜間は自動でOFFにする」「基本的に休日夜間はOFFだが、今週末の土日のみ学習アルゴリズム実行のためONを維持する」など、研究プロセスに応じた柔軟な運用計画を研究者自身が容易に設定できるようになった。

さらに、研究者ごとの仮想PC利用時間と利用料の可視化機能や、予算消化率が一定の水準を超えた時点でアラートメールを自動送信するリマインド機能なども実装し、研究者の負担を最小化しつつ効果的なコスト管理を実現している。

1.4 導入効果

これらの取り組みにより、オムロンの研究開発部門はRDinXというDX基盤の構築を通して、クラウド導入時のセキュリティ設計とコスト最適化という2つの本質的課題を解決し、研究開発プロセスにおける調達や環境設定の工数を大幅に削減した。その結果、研究者は本来の創造的活動に集中でき、研究開発の競争力が劇的に向上している。これこそが、我々が目指す“研究開発のデジタルトランスフォーメーション”の実現である。

2. 生成AI活用環境“RD Buddy”

2.1 生成AI活用における現状と課題

RDinXの構築と運用によるデジタルトランスフォーメーションを進める中、2022年11月のOpenAI社によるChatGPTの公開は、生成AIという新たな技術トレンドの幕開けとなった。

ChatGPTの登場後、オムロンの研究開発部門の研究者から「研究開発プロセスの効率化に有用であるため、社内でも早急に生成AIを活用できる環境を整備してほしい」という要望が多数寄せられた。これを受け、当部門では導入に向けた詳細な調査を開始したが、RDinXと同様に2つの本質的課題が浮上した。すなわち、セキュリティ設計とコスト最適化である。

セキュリティ設計における最大の懸念は情報漏洩リスクであった。研究者が生成AIサービスを利用する過程で、意図せず機密情報をプロンプトとして入力してしまう可能性がある。こうした情報がサービスプロバイダによってモデル強化のための再学習に利用されると、企業秘密の流出につながりかねない。特に個人情報が含まれる場合は、個人情報保護法で規制されている「目的外利用」や「第三者提供」に該当する恐れがあり、法令違反となるリスクも生じる。

コスト最適化に関する課題は、生成AIサービスの課金体系に起因している。一般的な生成AIサービスは、プロンプトの入力量や出力量に応じた従量課金制を採用しているため、研究開発のような大量の技術情報を扱う用途では、活用が進むほどコストが増大する傾向にある。特に研究者が手動でチャットインターフェースを操作する段階を超え、API(Application Programming Interface)を介して自動化されたシステムから生成AIを呼び出すようになると、短時間で膨大な入出力が発生し、コストが急激に上昇する可能性が高い。

2.2 生成AI活用環境の構築

これらの課題に対応するため、研究開発プロセスに特化した独自の生成AI基盤「RD Buddy」の構築に着手した。

RD Buddyの特徴は次の2点に集約される。

1つ目は、情報漏洩防止のための多層的セキュリティ設計である。RD BuddyはRDinX基盤上、すなわちAWS上に構築されたオムロン専用のプライベートクラウド環境に配置することで、外部サービスへの機密情報流出リスクを最小化している。第一層では、生成AIモデルを提供するクラウドサービス(Amazon Bedrock, Microsoft Azure OpenAI Service)を専用のリソースとして構築し、一般利用者と共有されるパブリックな生成AIサービスとは完全に分離した。

第二層では、生成AIモデルへのリクエストを用いた攻撃、特にプロンプトインジェクション攻撃をコンテンツフィルタにより防止している。

第三層では、生成AIに対するリクエストをハンドリングするAPI処理層を前段に設け、外部からの攻撃防御、認証認可、ログ監視を行うことでセキュアな運用を可能にした。

第四層では、ユーザーが「プライベートモード」を選択できる機能を実装し、機密性の高い会話をナレッジデータベースから除外できるようにしている。

この実装により、オムロンの厳格な情報セキュリティルールに完全準拠することが可能となった。さらに、プロンプトとして入力された情報の包括的なログ監視機能を実装することで、情報漏洩を技術的に防止する環境を実現している。

2つ目は、コスト最適化を目的とした効率的サーバ設計である。生成AIモデルは運用にハイスペックな環境を必要とするため、「必要な時に必要なリソースだけを使用する」というサーバーレスアーキテクチャの利点を最大限に活用した設計を採用した。

特に生成AIの応答時間の長さに対応するため、ユーザーからの問いかけに対して生成AIが回答を作成している間、必要最小限の接続状態を保持し、実際の計算処理は必要な時のみ実行する仕組みを構築した。これにより、長時間の接続維持に伴う固定費用の発生を防ぎつつ、ユーザー体験を損なわない応答性を実現している。

また、ユースケースに応じた最適なモデル選択を可能にするインターフェースも提供し、高精度が必要な場合と応答速度・コスト効率が重要な場合で異なるモデルを使い分けられるようにした。これにより、必要以上に高価なモデルを使用することによるコスト増大を防止している。

このような最適化されたサーバ構成の実装により、従量課金要素は残るものの、全社的な利用コストを大幅に低減することに成功した。RD Buddyの構築により、オムロンの研究開発部門における生成AI活用時の二大課題である情報漏洩リスクとコスト増大問題を同時に解決し、研究者が安全かつ効率的に生成AIを活用できる環境を整備できた。現在、オムロンの研究開発部門では、この基盤を活用した具体的な応用開発として、自然言語によるロボット制御アルゴリズムの開発や、特許庁のデータをDB化して生成AIと連携させた知財AIエージェント7)などに活用し、それぞれ実用化に向けた検証を進めている。

3. DXを推進する体制と今後の展望

RDinXおよびRD Buddyの構築と運用は、オムロングループのIT専業会社であるオムロン ソフトウェア株式会社(以下、OSK)が内製している点も特筆に値する。この内製化アプローチには複数の戦略的利点が存在する。

第一に、OSKのエンジニアはオムロンの情報セキュリティルールに精通しており、かつAWS実装技術に関する専門人財を戦略的に育成している8)ため、高度なセキュリティ設計を迅速かつ高品質に実装することが可能である。第二に、グループ内企業であるため、オムロンの機密情報を適切に取り扱う体制が確立されている点が挙げられる。

さらに、RDinXやRD Buddyで実現した機能は、セキュリティ基盤、仮想PC払い出し基盤、生成AI活用基盤など、機能ごとにアセット化されている。このモジュラー設計により、事業部門の商品開発チームが必要とする機能のみを選択的に導入することが可能となり、柔軟かつ効率的なシステム展開を実現している。

このような取り組みにより、オムロンは研究開発プロセスのみならず、商品開発プロセス全体のデジタルトランスフォーメーションも視野に入れた取り組みを推進している。特筆すべきは、社内で培った生成AI活用基盤の技術が社外からも高い関心を集めた結果、2024年12月にはOSKから「koto-Buddy」としてサービス化され、オムロングループ外への提供が開始された点である。これはオムロンの研究開発DXの取り組みが、グループ内の技術革新にとどまらず、新たな事業機会の創出にも寄与していることを示す顕著な事例といえる。

オムロンの研究開発部門および一部商品開発部門では、RDinXとRD Buddyという“クラウドネイティブ”、“AIネイティブ”な研究開発基盤の導入により、開発プロセスの効率化と成果物の質的向上を実現する事例が次々と生まれている。本稿で紹介したオムロンの取り組みは、グローバルおよび日本の製造業全体に押し寄せつつある大きな変革の潮流の一端を示すものである。この波は今後、単なる変化を超えた根本的なパラダイムシフトとなって、研究開発の在り方そのものを変革していくであろう。

しかしながら、真の研究開発のデジタルトランスフォーメーションは、遠い海の向こうで形作られたシステムを受動的に導入するだけでは決して実現し得ない。それは、研究者が自らの創造的活動の本質を見極め、研究開発のハイサイクル化を実現するDX基盤を我々のようなDX基盤構築部門との協働によって主体的に創造し、活用する過程において初めて結実するものである。

我々は今、研究開発の歴史における重大な転換点に立っている。クラウドとAIの力を創造的に活用することで、これまで想像もできなかった研究開発の可能性が開かれつつある。この新時代の幕開けにあたり、本稿の結びとして、次の言葉を記したい。

“世界を変えるのは、オレ達だ!!”

参考文献:

1)
AWS社. “Benefits of using multiple AWS accounts.” AWS Docu-mentation. https://docs.aws.amazon.com/whitepapers/latest/organizing-your-aws-environment/benefits-of-using-multiple-aws-accounts.html(Accessed: Mar. 27, 2025).
2)
AWS社. “AWS Control Tower.” AWSの製品・サービス一覧. https://aws.amazon.com/jp/controltower/(Accessed: Mar. 27, 2025).
3)
AWS社. “コントロールの仕組み.” AWS Documentation. https://docs.aws.amazon.com/ja_jp/controltower/latest/userguide/how-controls-work.html(Accessed: Mar. 27, 2025).
4)
AWS社. “オムロン、研究開発用のHPC基盤をAWS上に構築、最適なコンピューティングリソースを活用し、革新的技術開発をリード.” クラウドソリューション. https://aws.amazon.com/jp/solutions/case-studies/omron-case-study/(Accessed: Mar. 27, 2025).
5)
AWS社. “Amazon EC2 リザーブドインスタンス.” Amazon EC2. https://aws.amazon.com/jp/ec2/pricing/reserved-instances/(Accessed: Mar. 27, 2025).
6)
AWS社. “Savings Plans.” Savings Plans. https://aws.amazon.com/jp/savingsplans/(Accessed: Mar. 27, 2025).
7)
奥田武夫 他, “IP ランドスケープを基軸とした知財マネジメントの革新―オムロンにおける両利きの知財活動の体系化と実践―,” IP ジャーナル, no. 32, 2025.
8)
AWS社. “グループのデジタル戦略実現に向けてAWS人財を育成 半年間のトレーニングで7名がAWS認定5冠を取得 自社勉強会を継続しAWS技術者100名体制へ.” AWS トレーニング活用事例. https://aws.amazon.com/jp/training/case-studies/osk-training/(Accessed: Mar. 27, 2025).

執筆者紹介

津田学写真
技術・知財本部 基盤デザイン部 副部長
津田 学

小野秀将写真
オムロン ソフトウェア株式会社
コア技術センタ アセット推進部 スペシャリスト(クラウド)
小野 秀将

日下武紀写真
オムロン ソフトウェア株式会社
コア技術センタ アセット推進部
日下 武紀

原田真太郎写真
オムロン ソフトウェア株式会社
コア技術センタ アセット推進部 部長
原田 真太郎

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