力強く回り始めたイノベーションのエンジン
Q1前中期経営計画「VG2.0」では、次の10年を見据えて「技術の進化を起点にイノベーションを創造し、自走的成長を実現」を全社方針として掲げました。VG2.0の成果を振り返るとともに、技術経営の進化をCTOとしてどのように受け止めていますか。
オムロンは、未来を予測し社会のニーズを先取りして解決することで成長してきた会社です。しかし、私が初代CTOに就任した2015年当時、技術・知財本部において、「この研究は何のためにやっているのか」と技術者に聞いても明確な答えが返ってこないことが度々ありました。研究や開発自体が目的化して、ソーシャルニーズを創造するという大事な原点を忘れかけているのではないか。そのような危機感から、オムロン流イノベーションのためのプラットフォームの構築を決断しました。
そこから何度も議論を重ね、2018年にイノベーションに必要な事業と技術を一気通貫で企画・開発ができるように、ビジネスの観点からアーキテクチャを描くイノベーション推進本部(IXI)と、近未来デザインを担うオムロン サイニックエックス(OSX)の2つの組織を相次いで立ち上げました。さらには、次々と事業を生み出し続ける状態をつくりあげるための「事業創造プロセス」を構築できたことも、VG2.0の大きな成果といえるでしょう。
その結果、新規事業や研究開発テーマについてオープンなディスカッションが行われ、トップから現場までその目的や価値を腹落ちして共有できるようになりました。また、こうした仕組みの進化に伴い、新たな価値創出に挑む技術・知財本部やIXIのメンバーのマインドセットも大きく変化してきたと実感しています。特に技術開発チームについては、研究熱心ではあるけれど、以前はともすると内向きになりがちでした。それがいまでは、社会的課題からテーマを抽出して、外部とも積極的に連携するようになりました。そこで成功体験ができると、さらに自信がついてより大きなチャレンジができるようになる。いまでは、既存の事業起点だけでなく、近未来に基づく顧客起点・技術起点で自ら新たな研究開発テーマを設定し、高い技術レベルでの挑戦を開始できるようになりました。イノベーションを生み出すプロセスが、その主役となる人財によって力強く回り出した手応えを感じています。
Q2「SF2030」では、「人が活きるオートメーション」を掲げています。なぜいま「人が活きる」なのか、それによってどんな社会をつくろうとしているのか、実例を交えて教えてください。
オートメーションには、人の作業を機械がやる「代替」、人と機械が一緒に作業する「協働」、機械が人の可能性を最大限に引き出す「融和」という3つのステージがあります。先進的な生産現場では協働から融和へとシフトしつつあり、オムロンはファクトリーオートメーション事業を中心に「人が活きるオートメーション」でその進化を支援しています。
一方で、代替すらできていない領域や業界もあることを忘れてはなりません。その一つが、介護の世界です。むしろヒューマンスキルが重要なこの世界では、「人が活きる」ことの本質が問われるため、人がやるべきこと、機械に任せるべきことをしっかりと見極めなければなりません。よってオムロンは、人を寝たきりにさせないための介護予防にチャレンジすることにしました。地方自治体と連携しながらIXIで事業化に取り組んでいる高齢者の自立支援事業がそれにあたります。
要介護になる前の早い段階で機能低下の予兆を捉えて運動や生活習慣の改善を促せば、健康寿命を引き延ばせることが分かっています。そのためにはまず、高齢者の生活課題や改善の希望などを聞き取って分析する「アセスメント」を行う必要があります。ただ、時間がかかるうえに高い専門性が求められるので介護現場の負担となっていました。そこでオムロンは、アセスメントやその後のケアプラン策定をAIで支援することにしました。介護従事者は、そのプランを元に高齢者への説明や動機付けするコミュニケーションをとりながらケアを行います。ロボットに定型句的に「頑張ろうね」「よくできたね」なんて言われても、やる気が出ませんよね。行動してもらうには最後はハート、まさに人間にしかできない価値ある仕事です。
高齢化に伴う社会保障費の増大が財政を圧迫する一方、医療・介護の現場では人手不足が深刻化しています。人と機械が有機的につながることで介護を必要とする人が自立した生活ができるように支援を行い健康寿命を伸ばします。また、介護現場の人手不足も補う自立支援事業には、各方面から大きな期待が寄せられており2020年7月の大分県に続き、2022年4月には大阪府との事業検証のための連携協定を行いました。しかし、この自立支援事業をスケールさせるうえでネックの一つが、先に挙げた人手不足です。高齢者と向き合いながらやる気を引き出せるのはプロフェッショナルな人間だけです。しかし、介護士の数が足りない。それならば我々の手で育成のサポートも行おうということで、介護人材の教育システムを開発しています。もちろんここでも重要となってくるのが、人と機械の役割の線引きです。SINIC理論の中でも「テクノロジーが進化していくと人々は弱体化していく」と懸念されています。よって、どこまでシステム化、オートメーション化すると人の力を奪ってしまうのか。何を機械に任せて、どの領域で人間のクリエイティビティを活かすのか。その点をしっかり見極めながら、人が活きる近未来をデザインしていきます。
IXIでは、このような考えに基づいた複数のテーマが事業検証ステージに進んでいます。新規事業創出は一朝一夕にできるものではありません。また、事業化した後もすぐに業績に大きく貢献するわけではありませんが、それでも事業を通じて社会的課題を解決する機会があるならチャレンジしない手はない。創業者が大事にした「7:3の原理」、つまり「7割の勝算があれば勇気を出してまずやってみる、ただし残り3割のリスクに対する対応策も必ず考えておくこと」、この精神で新事業を生み出すイノベーションの実現に取り組んでいます。
本当に使える「ジョブ型雇用」の仕組みづくり
Q3イノベーション創出の原動力となる人財育成にあたってどのような取り組みを行っているのでしょうか。
イノベーションを創出し続けていくにあたり、ソーシャルニーズを創造する組織・仕組みの変革と並んで人財育成をミッションに掲げたのは、持続的成長には、人財が欠かせないと考えたからです。この数年、市場や現場、技術、知財の知見に基づき、ビジネスの全体設計図を描けるアーキテクト人財、そしてAIやロボティクスなどのコア技術人財の育成に力を入れてきました。IXIでは、ビジネスを構想するアーキテクト、高い専門知識を持つスペシャリスト、チームを牽引するリーダーなど、プロジェクト遂行に必要な職務を定義して、それに見合った能力や経験を持つ社員や能力の成長を期待する社員を配置する「ジョブ型雇用」を採用しています。
IXIがイノベーション人財を輩出するプラットフォームだとすれば、知財・技術本部はそのイノベーションを支える技術者のプラットフォームです。こちらについてもジョブ型雇用への移行を進めているところです。ジョブディスクリプション(職務記述書)を作成すればそれでジョブ型だと思われがちですが、ジョブ型の本質は「役割とスキルレベルを明確にする」点にあります。これを技術者に適用しようと思えば、まず各社員のスキルを棚卸しなければなりません。例えば、電気の技術者と一口に言っても、アナログなのかデジタル通信なのか、それとも制御なのかなど、専門分野は細かく分かれます。これを整理したうえで、各分野におけるスキルレベルを5段階で評価し、レベル1の仕事はこれ、レベル2の仕事はこれといった具合に、スキルと職務を紐付けます。レベルごとの要件が明確なので、レベル2から3に上がるには何を習得すればいいかが一目でわかる。これが社員の意欲や納得感を高めることにつながります。
もちろん、レベルアップのための教育機会も、会社として用意しなければなりません。言い換えれば、本気でジョブ型雇用の人事制度にしようと思えば、スキル教育にしっかり投資する必要があるということです。3月に発表した「SF 1st Stage」において3年間で従来比3倍となる60億円の人財開発費を投じると発表したのも、そのためです。
実はジョブディスクリプションだけで言えば、オムロンでも過去に取り入れたことがありましたが、長続きしませんでした。その反省もあり、今回は実践できる仕組みにすることに拘っています。社外の専門家を含むチームで評価に当たるようにするなど、費用だけでなく手間も時間もかけています。人事制度にこれだけ関わるCTOは珍しいかもしれませんが、革新的な技術やビジネスを生み出すのは人であり、イノベーションの源泉は常に人財です。やると決めた以上は形骸化させない、本当に使える仕組みにする。そのために、私自身も相当にエネルギーを投入しています。
ニーズを先取りした生産現場のカーボンニュートラル
Q4オムロンには、旗を立てて目標を表明し、社内外の共感と共鳴を呼んで連携を広げるという文化があります。ここ最近で掲げた旗として、どのようなものが挙げられますか。
今年2月に発表をしたJMDC社との資本業務提携は、「健康寿命の延伸」におけるモノ視点+コト視点のビジネス創出という、まさにその旗にふさわしいものといえるでしょう。
JMDC社は膨大な量のレセプトデータと健診データを保有し、それを分析して活用する技術やノウハウも蓄積しています。しかし、ハードウエアは持っていません。それに対して我々は、個人のバイタルデータを収集するハードウエアや技術は持っていますが、データビジネスの知見は乏しい。「健康寿命の延伸」に向けて、お互いの足りないところを補完し、強みを最大化することが提携の狙いです。
また、この提携には、オムロンが目指すソリューションをベースとしたコトビジネスの方向性を社内外にはっきりと示す効果もあります。“モノ視点からコト視点へ”という抽象的な概念だけでは伝わりにくいですが、JMDC社と組むと言えば、なるほどそういうことかと理解してもらいやすくなる。実際、発表後の反響は想像を上回るものでした。
Q5すでに実装が始まっているコト視点ビジネスの実例があれば教えてください。
一例を挙げれば、同じくデータを活用したサービスの「i-BELT」があります。モノづくり現場で収集したデータを活用して、顧客の課題を解決するソリューションビジネスです。ただ、その内容はここに来て大きく変化しています。
従来は生産性や品質の向上が主な目的でしたが、それらに加えて、現在、世界中でエネルギーの価格高騰や供給不足による経済への影響が懸念されている中で、「生産現場のカーボンニュートラル」に対する関心が急速に高まっています。製造拠点ごとはもちろん、製造ラインごとのCO2排出量の見える化が求められつつある中で、1製品あたりのCO2排出量の見える化も当たり前となるでしょう。オムロンでも、ヘルスケア製品を生産する自社の松阪工場において、血圧計1個を生産する際に発生するCO2排出量の計測を試験的に行っています。この1製品あたりのCO2排出量の見える化は、EUをはじめとする世界の市場で近い将来必ず求められるはずですし、見える化したその先には、削減という巨大なニーズがある。これは、オムロングループが一体となることで実現できるビッグビジネスになると考えています。そのために重要となってくるのが、デジタルツインです。なぜなら、様々な現場のデータを用いることで、改善に向けたサイバー空間での近未来の予測が容易になってくるからです。
オムロンは、ファクトリーオートメーション事業で積み上げた製品と知見、省エネルギーを実現するリレーやスイッチなどのデバイスやモジュール、そしてエネルギーソリューション事業で培った技術力と提案力を中核とした現場力を持っています。そこに、データを活用するAIやシミュレーション技術を加えていくことで、生産活動におけるエネルギーに関するさまざまな問題を、一気通貫のソリューションで解決する。オムロンならではのコト視点に基づいたビジネスによる、新たな価値創造を目指しています。
SINIC理論を基にしたオープンな議論で「自律社会」の解像度を上げる
Q6最後に、SINIC理論では、「自律社会」が到来するとされています。改めて自律社会とは何か、その先には何が待っているのか。お考えを聞かせてください。
創業者の立石一真は、自律社会を「個人と社会、人と自然、人と機械が自律的に調和する社会」だとする一方で、それ以上に踏み込んだ説明はしていません。そこを掘り下げて、自律社会と呼ばれるものの解像度を上げるのが我々の役目ですので、アップデートに向けた議論を侃侃諤諤と行っているところです。
SINIC理論が初めて発表された1970年当時は、効率性と利便性を高めて、経済的により豊かになることが成長だと一般的に考えられていました。ですからSINIC理論の基本構造を示した図でも、進歩を志向する人間の意欲を中心に、技術、科学、社会が相互に作用しながら発展していく様が描かれています。これを今日的に捉え直す時、核となるのは私たち人間の志向、「心の向かうところ」でしょう。人間性や自然との共生といった、現代を生きる人たちの心の奥底から湧き出る思いをどう位置づけるのか。それがポイントとなってくるはずです。
今回のディスカッションには、外部の有識者やZ世代も含む若い方々にも参加していただいています。未来の社会の話をするのに若い世代の価値観を取り込まないのはおかしいですし、オムロンだけに閉じて議論をしても始まらないので、オープン化することで「世の中ごと」にしてしまおうという考えです。近いうちにその議論の結果、つまり私たちが現時点で考える自律社会の姿を発信していく予定です。これを下敷きとして、さらに社内外の人々を巻き込み、ともに未来を創っていくことが、企業理念の実践であると信じて取り組んでいます。