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物理モデルとデータ駆動モデル

物理学の黎明期、ガリレオ・ガリレイは物体の落下を調べるため、空気抵抗による効果を取り除き、運動の本質に迫った。私達の目の前に展開する世界は、風が吹き雲流れ、まさに万物が流転しており、単純な法則に支配されているようには見えない。その中から様々な副次的因子を取り除き、本質を抽出することが、世界を記述し理解するために必要である。このアプロ―チはさらに洗練され、ニュートンの運動法則や、マクスウェルの方程式につながった。そして現在に至るまで、できるだけ少数の法則で物理現象を統一的に記述するための努力がなされている。

対象の本質的な物理的特性を抽出し、可能な限り単純化したモデルで記述するアプローチは工学でも広く使われている。著者らが専門とする電気電子工学では、等価回路が広く用いられる。変圧器を考えると、実際には磁束や損失は空間分布を持つが、これらを単純化して集中定数で表すことで等価回路を構成する。この近似により主磁束を励磁インダクタンスと理想変圧器に、漏れ磁束を漏れインダクタンス、ヒステリシス損失やジュール損失を抵抗に置き換えることができる。電気技術者はインダクタンスや抵抗の物理的・直観的なイメージを持つため、等価回路を通して変圧器全体を理解できる。また巻き数や寸法、材料特性を与えたときの特性を定量的に予測できる。

人体やロボットのダイナミクスのモデリングにおいては、ダンパやバネ、質点(または剛体)からなる機械系が広く用いられる。エッセンシャルな性質を維持しつつ自由度を低減することで、解析や制御がずっと容易になる。このように、対象の物理的考察の上に構築されたモデルを物理モデルと呼ぶことにする。物理モデルは、近似の範囲内で定量的な予測が可能であること、物理法則に立脚しているため人による理解がしやすいなどの利点を持つ。

さて近年、人工知能・機械学習の普及が進み、測定データや解析データに基づくデータ駆動モデルが広く用いられるようになってきた。データ駆動の具体的な方法として、ニューラルネットワーク(NN)やカーネル回帰、回帰木などがある。データ駆動モデルの学習では、入力値に対して与えられた出力値になるように、パラメータ(NN では重み係数)を決定する。これらモデルは通常ブラックボックスであり、また物理法則をモデル化していない。したがって、対象の理解につなげることは難しい。一方、データ駆動モデルには物理モデルにない多くの長所がある。たとえば複合材料の合成を例に取ると、各材料種の混合割合で多様な特性が発現するが、これを物理モデルで理解するためには、極めて複雑なミクロ現象を解析しなければならず、それはしばしば困難である。これに対してデータ駆動モデルでは、混合割合と特性の関係を直接的に表すことで、測定データにはない混合割合に対しても一定の精度で特性予測を行うことができる。また他の例として、モータの騒音を考えると、その原因を特定するためには、電磁力による変形や磁歪、偏心など様々な仮説を立てて解析を行い、測定された周波数分布を再現できるか試す必要がある。これに対して、様々なノイズの原因と対応する周波数特性を関連付けるデータ駆動モデルを構成しておけば、測定された周波数スペクトル(結果)から原因を高速に予測できるだろう。上記のようにデータ駆動モデルは因果関係の説明が難しいデータや、摩擦や損失、材料や寸法のばらつき、環境依存性など複雑な要因が絡むデータに威力を発揮する。そして製品の設計開発や品質管理・異常検出には、このようなデータの取り扱いがしばしば重要になる。

物理モデルとデータ駆動モデルを併用することも有効である。2024 年のノーベル化学賞は、アミノ酸配列からタンパク質構造を予測する AlphaFold2 の開発者に与えられた。このシステムは、蓄積された大規模測定データに基づいてデータ駆動モデルを構築し、それによりタンパク質の折り畳みを予測する。さらに分子動力学に基づく物理モデルにより予測値を補正することで、予測精度を向上させる。また PINN(Physics-Informed NN)においては、対象の物理を記述する偏微分方程式と境界条件が NN 内で表現され、任意の点に対する場の値を出力する。これは物理モデルとデータ駆動モデルを融合したものと見なすことができる。物理モデルから生成したデータにより、データ駆動モデルの学習を行う例もある。また逆にデータ駆動モデルを用いて物理モデルを生成することもできるだろう。物理モデルは対象の本質を表し、データ駆動モデルは対象をあるがままに記述する。このような双対性を有する新旧二つのモデルを融合することで、さらに何ができるだろうか。

冒頭の話に戻ると、ガリレオは発明間もない望遠鏡をいち早く自家薬籠中の物とし、それを天体に向けることで、木星の衛星を発見した。そしてこれが地動説につながることになる。新しく出現した技術を誰も考えていなかった対象に用い、これまでにない世界を拓く。われわれはいま、人工知能・機械学習をガリレオの望遠鏡のように用いることができる。

五十嵐一写真
北海道大学 データ駆動型融合研究創発拠点(D-RED)特任教授
北海道大学 大学院情報科学研究院 名誉教授
五十嵐 一

大友佳嗣写真
長崎大学 大学院総合生産科学研究科(工学系) 助教
大友 佳嗣

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