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SINIC X-formation─パラダイム・シフトの先を拓く技術への期待─

はるか彼方の学生時代、分厚い就職案内のページを繰る中で、「機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野での活動を楽しむべきである」というオムロンの企業哲学が目にとまった。当時、私は管理工学という学際分野を専攻し、作業疲労、習熟、工程設計、生産管理、R&D戦略、組織文化等、ものづくり現場の問題解決を研究テーマとする、広い意味でのIE(インダストリアル・エンジニアリング)研究室に所属していた。その恩師が、いつも私たち学生に投げかける挨拶は、「みんな、ハッピーしてる?」だった。そういう背景、文化、環境も影響してか、人間がより創造的な分野での活動を楽しむためのオートメーションという、オムロンの創業者・立石一真の鮮明なメッセージに惹かれた。

そのIEとは、狭く見ると、現場の作業や動作を観測して、ムリ・ムダ・ムラを徹底的に削ぎ落とし、生産効率を最大化しようという科学的管理法である。これは、使い方によって、生産現場で働く人たちを、厳しく辛い作業環境に追い込んだ。学生時代の現場実習先の自動車会社のトイレの壁には「IE消えてなくなれ!」と殴り書きされていた。就職先の新人時代には、写真フィルム製造設備の向こう側から「なんで、あんな若造に、俺の動きにムダが多いと言われなきゃいけないんだ。やってられねえ!」というベテランの方の怒声が聞こえてきた。

もちろん、それはIEが目指すところではない。働く人も経営者も、そして使い手となる顧客も、共にハッピーになることが目指される。立石一真も、F. W.テイラーの科学的管理法を「能率学」1)として紹介した上野陽一先生に、いち早く師事し、熱心に研究して活用していたと聞く。動作研究の権威であったM. E. マンデル博士を60年代初頭にアメリカから招聘した際、日本での随行を恩師が担い、東京から関西に向かう車中で、隣りの座席の初老の紳士から話しかけられ、互いに素性がわかって、ますます話しが弾み、京都で下車して、そのまま鳴滝の工場まで連れていかれ、夜通し熱心に工程改善や工場経営の議論をしたという逸話を聞いたこともある。まさに「ハッピーな」工場、社会、世界をつくろうと、一生懸命に考えていたのだそうだ。より幸せな未来社会と暮らしをつくるという目的をぶらさず、技術と事業で実現する。それがオムロンの原点にある。

さらに、もう一つ惹きつけられたのがSINIC理論である。現場観察から人間観察、社会観察へとスコープを拡げ、事業づくり、組織改革など問題解決の範囲も拡がり、隠れた課題も洞察できることを感得した私は、文化人類学の世界に興味を持ち、その大御所であり探検家でもあった梅棹忠夫先生の思考と創造の世界、未来探検の世界に引き込まれた。ちょうど、60年代初頭に情報産業論2)を発表し、情報社会という未来を展望していた時期である。さらに、当時の気鋭の若手社会学者の加藤秀俊先生やSF作家の小松左京氏など、未来発想力豊かな面々が集まり、繰り広げられた議論は、1970年の大阪万博に結実し、人々に未来を見せて夢と希望を与えた。その中で、未来学なる新学問領域も立ち上がっていたが、当時の経営者としては珍しく「未来予測」の重要性を感じとり、梅棹忠夫先生を中心とした、言わば京都の「梁山泊」の面々とやりとりしていた中に、他でもない立石一真もいたのだ。

到達すべき未来社会のビジョンを「自然」と留めると共に、一気に原始社会まで遡って人類史全体を俯瞰し、人間社会の価値観の変遷と、科学・技術・社会の円環的な相互作用の発展過程から未来予測する理論、それがSINIC理論である。情報化社会以降の未来として、最適化社会、自律社会、自然社会を設定した背景には、京都の自由な学者の叡智や東洋思想的な観点も注ぎ込まれていた。さらに、それらの智慧に、当時の中央研究所に設置したコンピュータを使ったシミュレーションも加え、2033年に至る未来予測の理論が、創業者・立石一真と若いスタッフらの情熱で、まとめあげられた3)

SINIC理論は、不易の未来予測「理論」なのだ。だから、VUCAの時代の今こそ、SINIC理論を神棚に祀って拝むだけでなく、手元に取り戻し、未来への航路の羅針盤として、針路を定めるために使うべき時なのだ。

では、これから到来する「自律社会」とは、どんな社会であろうか。これを考えてきた結果、私は「自立」「連携」「創造」の3つの構成要件が重なる社会像にたどり着いた。そして、この社会は「モノ中心・個人中心」という近代工業社会の価値観の対極に位置し、「こころ中心・集団中心」の価値観に基づいた世界と予測されている。だから、この社会の到来を引き寄せる技術は「精神生体技術」、こころの技術なのである。また、「自律社会とは、ノー・コントロールの理想社会に近づく社会」だと、立石一真が言い残していることも興味深い。確かに、SINIC理論で予測される技術を見ると、最適化社会までの新技術には「制御」という文字が入るが、自律社会への革新を促す「精神生体技術」以降には「制御」の二文字が消える。

人の肉体機能を強化し、拡張して機械に代替するオートメーション、人の一定の判断機能と情報処理を代替するサイバネーション、一人ひとりの健康を支えるバイオネーション、これらのイノベーション展開予測は、N.ウィーナーが提唱したサイバネティクスの思想4)に基づくものであり、「制御」の思想である。

そのN.ウィーナーの著作には、興味深い指摘が見つかる。「人間の奴隷労働を機械に行わせたとしても、機械的奴隷をつくっているだけで、それは良いこととは言えない。人と機械が奴隷レベルで競い合っても、結局は人の価値を下落させるだけで、それは目的ではない。人間の価値を尊重する社会をつくることが目指すべきゴールだ」とか、「世界は決して機械仕掛けではない。生きた生命体なのだ」とも、数学的に説いている。これらの言及からは、N.ウィーナーが見通していた制御論の進化の先にも、自律、自然社会への道筋を重ねられることがわかる。

もちろん、いきなりノー・コントロールにして、理想社会ができるはずはない。そこには、自転車の補助輪のように、最初は無いと困る支えだが、自走できるようになると、次第に邪魔になり消えていくような、一人ひとりの個人の価値観や行動の変容を助ける技術が必要となるだろう。しかし、これはマインド・コントロールと紙一重の危うさも孕んでいる。やはり、精神生体技術に、コントロールは禁物なのだ。生き方、暮らし、社会に融け込み、散りばめられたカーム・テクノロジーとも言える。立石一真は意味深いコメントを残している。「自律社会の到来は、人間の真の変容なしには実現されない」、真の変容を遂げて、自律社会に向かうために必要な技術、それが現代社会の大きなソーシャルニーズのはずだ。

このように考えてくると、これからの技術開発には、これまでにない「倫理」のメカニズムが重要になる。自律社会の新たな規範を目指した「倫理」である。AIの深層学習、自律型のロボティクス、ライフログによる行動最適化など、その適用機会は広がる。そして、従来からのトロッコ問題に立ち止まったままのAI倫理ではなく、近年、急速に研究が進みつつある認識論の一分野である「徳認識論」5)のような知的な徳や、文化の地域性、デジタル・エシックスと呼べるような新しい人文社会的な研究フロンティアに挑戦していく必要性も高い。

さらに、自然社会とは何か。私はこの「自然」を、Naturalの訳語としての「しぜん」というよりは、仏教用語としての「じねん」に近いもの、すなわち、無為自然であり、ありのままという状態を意味するものだと考えている。地球上の生態系では、多様な生きものが、何者もコントロールしているわけではないのに、40億年という持続性の中で、時々の環境変化に適応して約870万種の生物が生きている。つまり、「制御」を超えた自律的な地球環境への「適応」であり、固定したシステムではなく、構造を融通無碍に変えて、環境に最適に対応する、人も自然も人工物も含めた地球生態系の「ホメオスタシス」への発展である。S.カウフマンやI.プリゴジンらの天才科学者たちが構想した「自己組織化」6)や「カオス理論」7)等が、SINIC理論の自然社会以降の次なる螺旋的未来予測の中心的概念となるはずだ。それは、機械仕掛けではなく、まさに生命体としての地球の未来だ。ハイパー原始社会と呼べるかもしれない。

そこに向かう技術は、人と人、人と自然、人と人工物、人工物と人工物の間で互いに働きかけ合って、折り合いをつける機能が重要になるだろう。このようにして、人間と技術と自然が、共によい塩梅で作用し合う世界とは、I.イリイチが提唱した、豊かでハッピーな自立共生社会「コンヴィヴィアルな社会」8)に通じる。私は、自然社会とはコンヴィヴィアル社会だと考えている。そして、そこにはAIの発展領域として、池上高志氏らのAlife(人工生命)の発想から生まれる技術の社会実装も現実となるだろう。

1970年、人類の進歩と調和をテーマとして開催された大阪万博の同年に発表されたのが、2033年の自然社会からバックキャストしたSINIC理論である。奇しくも、SINIC理論では自律社会の始まる2025年、再び大阪・関西万博が「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとして開催される。SINIC理論も、2周期目の未来を見据えた、新たな進化の準備の時を迎えている。

今こそSINIC理論を羅針盤として、渾沌としたパラダイム・シフトを超えた地平、新しい社会への変容を先駆ける時である。まさに、「人間がより創造的な分野での活動を楽しむ」、みんながハッピーになれる未来可能性を高めるSINIC X-formation(サイニック・トランスフォーメーション)を、オムロン サイニックエックスの革新技術が拓く時だ。

そして、「SINIC理論」を活用して、社会・技術・科学の未来を描くヒューマンルネッサンス研究所の未来社会論と相互円環的に高め合い、よりよい社会への進化を拓いていきたい。

1)
F. W.テーラー/上野陽一訳『科学的管理法』技報堂,1957年
2)
梅棹忠夫「情報産業論」『中央公論』 中央公論社,1963年3月
3)
立石一真ほか.未来接近へのSINIC理論.OMRON TECHNICS.1970. Vol. 10, No. 3,(通巻34号),P. 26-39.
4)
ノーバート・ウィーナー/池原止戈夫他訳『サイバネティックス―動物と機械における制御と通信―』岩波書店,1957年.
5)
飯塚理恵.「倫理的徳と認識的徳」.『ワードマップ心の哲学―新時代の心の科学をめぐる哲学の問い』信原幸弘編.新曜社, 2017年
6)
スチュアート・カウフマン/米沢富美子訳『自己組織化と進化の論理』日本経済新聞社,1999年
7)
イリヤ.プリゴジン,イザベル・スタンジェール/伏見康治他訳『渾沌からの秩序』みすず書房,1987年
8)
イヴァン・イリイチ/渡辺京二・渡辺梨佐訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部, 1989年

井尻善久写真
株式会社ヒューマンルネッサンス研究所 代表取締役社長
中間 真一

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