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深層学習を活用したポリエステル系樹脂の難燃助剤特性予測とその難燃性評価

今泉 豊博IMAIZUMI Toyohiro
デバイス&モジュールソリューションズカンパニー
技術統括部 材料技術グループ
専門:高分子化学
大谷 修OTANI Osamu
デバイス&モジュールソリューションズカンパニー
技術統括部 材料技術グループ
専門:高分子化学、分析化学、有機光化学
博士(工学)

機構デバイスといった電子部材に使用されているポリエステル系樹脂に、臭素系難燃剤の難燃助剤として広く使用されている三酸化アンチモンは、RoHS(特定有害物質使用制限)候補物質として挙げられている。今回、深層学習技術を活用し、強度を有し且つ薄肉難燃性に適した三酸化アンチモンの代替を探索した。具体的には、難燃性のメカニズムより、臭素系難燃剤と難燃助剤の反応における難燃助剤の「臭素化エネルギー」と、その臭素化した難燃助剤の揮発のしやすさを示す「沸点」の物性予測を行う深層学習モデルを構築し、候補剤を予測・抽出した。この候補剤を用いた成形材の難燃性を検討したところ、三酸化アンチモンと同等であることを見出した。なお、電子部材では難燃性に加え、強度や流動性等の多くの物性が求められる。しかし、今回は三酸化アンチモン代替として無機物難燃助剤の検討を行ったため、その他の物性への影響は軽微と考え、ここでは難燃性に関してのみ報告をする。

1. まえがき

リレーやスイッチ、コネクターなど機構デバイスに使用する樹脂は、電気絶縁性、耐熱性、機械的強度等に優れたPC、PBT、PETなどのポリエステル系樹脂が使用されている1)。これらの樹脂には、火災防止のため難燃性が要求されている。この難燃性を満足するために、ハロゲン系、特に臭素系難燃剤が樹脂に添加されている。さらに、薄肉難燃性を要求される製品で使用されるPBTやPETなどのポリエステル系樹脂は、難燃性を高めるために臭素系難燃剤とともに難燃助剤として三酸化アンチモンが使用されている2)。薄肉難燃性を有する材料は、一部の電子部材には必要不可欠なものではあるが、素材メーカでは投資対効果の関係から、開発が活発に行われていない状況である。

一方で、難燃助剤に使われている三酸化アンチモンは、RoHS指令の候補に掲載されており、環境リスクが懸念されている3)。また、アンチモンの採掘場所は偏在性が高く、地政学リスクが高いと考えられている4)。このような背景をもとに、素材メーカ各社で難燃剤の代替材料として様々な材料が検討されてきたが、1920年以降、三酸化アンチモンに変わる難燃助剤の発見に至っていない。そのため、三酸化アンチモン代替は従来の探索範囲で見出すのは難しいと想定される。新たな代替材を見出すためには、探索領域を拡大する必要があるが、実験を主体とした従来のアプローチでは膨大な組み合わせを検討するのも困難である5)

近年、マテリアルズインフォマティクス(MI)が注目を集めている。MIは情報科学を活用して材料開発を行う新しいアプローチ方法であり、従来のアプローチでは解決できなった化合物の発見や開発期間の短縮に成功している6)。その中でもマサチューセッツ工科大学とサムスン電子は、MIを用いてリチウム電池向けに安全かつ長寿命な新規の固体電解質を短期間で見出した7)。このようにMIの活用は、高機能の素材の発見までに時間を要するような検討に有効で、技術開発のリードタイムを大幅に短縮できるテクノロジーである。

このMIは新規化合物の発見等に有効な手段であるにもかかわらず、スーパーコンピュータの利用等、素材開発を専門とする大学や研究機関、基礎研究所を有する企業のみの基礎研究に利用が限られることが多かった。しかし、近年、パーソナルコンピュータの著しい性能向上に加え、MIをビジネスとするベンチャー企業が増加し、これらの企業とアライアンスを組むことでMIを利用できるような環境が整ってきた。

そこで、MIを保有する企業とアライアンスを組むことで、MIを活用した新しいアプローチ方法でポリエステル系の難燃助剤探索にチャレンジした。難燃性のメカニズムから、難燃剤と反応する難燃助剤の臭素化エネルギーと、その臭化した難燃助剤の揮発のしやすさを示す沸点を物性予測する深層学習モデルを構築し、候補剤を予測・抽出した。その中から三酸化アンチモンと同等の特性を有する材料を見出したのでここで報告する。

なお、世の中はRoHS規制対応として、臭素系の難燃剤を使用しないノンハロゲン系の難燃剤が一般的だが、ノンハロゲン系難燃剤の取り組みを今回は除外した。なぜならば、ノンハロゲン系難燃剤はハロゲン系難燃剤と比較して難燃効果が低くなるため、配合量が多くなり樹脂の物性低下につながることが想定され、我々の要求である薄肉難燃と強度の特性の両立を満足できないと判断したことによる。

2. アプローチ方法

2.1 難燃メカニズムの理解と重要パラメーターの抽出

まずは、難燃剤と難燃助剤の難燃メカニズムに関して重要なパラメーターについて説明する。一般的に樹脂の難燃性は、難燃剤と難燃助剤の組み合わせによる相乗効果で高い効果を発現することがよく知られている8)。その代表として、上記で述べたハロゲン系難燃剤と三酸化アンチモンが挙げられる。これはハロゲン化合物とアンチモンによる反応生成物の熱分解連鎖反応停止作用(ラジカルトラップ効果)やハロゲン化アンチモンが気化することによる気相での空気遮断効果による1)

詳細にメカニズムを考察していく。難燃助剤である三酸化アンチモン(Sb2O3)は臭素系難燃剤の分解により生成したHBrで臭素化される。この気化した臭素化アンチモン(Sb2Br3)は、酸化反応系における燃焼反応を阻害する。Sb2O3を難燃助剤として添加した種々の臭素系難燃剤含有樹脂の燃焼メカニズムについて考える。生成したSbBr3は水素原子と反応し、HBr、SbBr、SbBr2およびSbに変換される。特にSbは燃焼反応の主体となる酸素原子や水分子および水酸基ラジカルと反応し、SbOやSbOHが生成され、燃焼の連鎖反応を遮断することで反応を阻害する8)

上記の反応メカニズムから、難燃助剤に求められる特性は、難燃助剤が臭素化しやすく、さらにその臭化物が即座に気化した後に、燃焼点に速やかに拡散して酸化のしやすさが重要と考えた。

つまり、上記の内容から2つの観点がこの難燃助剤において重要特性と考えた。

臭化物が生成しやすい難燃助剤であること
生成された①の臭化物が気化しやすいこと

項目①においては、難燃剤から発生したHBrと難燃助剤が反応しやすいこと、言い換えると、難燃助剤の臭化反応における反応前後のギブスの自由エネルギー変化(臭素化エネルギー)が小さいほど臭素化しやすいことを示している。また、②については気化しやすいことは、物質そのものの沸点が低いことと考えられる。

2.2物性値の推定方法

2.1で抽出した難燃助剤の重要特性である臭素化エネルギーと沸点は、臭素化エネルギーが低く、かつ沸点が低い候補剤を抽出することが望ましい。しかし、これらの特性は文献上では一部しかなく、材料探索は限られてきた。そこで我々は、これらの臭素化エネルギーと沸点は、書籍、論文やインターネット上のデータとともに、熱力学的計算と深層モデルをもとに計算し、データを補うこととした。

(1)臭素化エネルギーの計算

熱力学的計算は、柴田らの報告をもとに図1に示す簡易的な反応式をもとに計算した8)。具体的に金属酸化物を例に説明すると、金属酸化物と金属臭化物のギブスの自由エネルギー9)を用いて、反応前後のギブスの自由エネルギー差を計算し、臭素化エネルギー(ΔG)を算出した。今回、簡易的に酸化物とHBrによる臭素化反応を、以下の式と考え、この式をもとに臭素化エネルギーを計算することとした。

図1 臭素化エネルギー算出の考え方
図1 臭素化エネルギー算出の考え方

その他の金属水酸化物などの化合物についても同様なアプローチで臭素化エネルギー変化を算出した。また、一般的な成形材の分解温度は700K付近であり、その温度付近の臭素化エネルギーの値を採用することとした。

(2)臭化物の沸点の計算

臭化物の沸点は、金属臭化物のギブスの自由エネルギーを用い、金属臭化物の固相と気相が同じになる温度を採用した。

(3)深層学習モデルの構築

深層学習は、入力データに対応する結果(出力)を導き出す機械学習の手法である。今回、深層学習に、2つの論理的構造(Graph Isomorphism Network(GIN)とAttentive Finger Prints(AttentiveFP))のモデルを用いた。入力は、分子の化学構造を英数字で文字列化したSMILESを用いた。臭化エネルギーの場合、化合物の物理的状態の2ビットでエンコードされた「Flag」も使用した。

深層学習モデル計算により、ギブスの自由エネルギーと沸点を予測し、文献値や熱力学的計算のデータに含まれていない化合物に関連する物性を推定した。なお、この深層モデルの確度は、次の章で実測値のデータと深層モデルで計算した数値との相関性により確認した。深層学習の精度を向上させるために、上述のギブスの臭化エネルギーと沸点の値とともに、ハロゲン系の化学反応に関するギブスのエネルギーとその沸点のデータも含めて深層学習を実行した。

2.3 難燃性試験

試験片については、三酸化アンチモンまたは深層モデル検証から得られた難燃助剤と臭素化難燃剤をポリエステル系樹脂に混錬し、射出成形することで準備した。試験片(125±5×13±0.5×t mm:t=0.4mm)をクランプに垂直に取付け、20mmの炎による10秒間接炎を2回行い、その燃焼挙動により難燃性を判断した(UL94準拠)。UL94ではV-0が最も難燃性が高く、次いでV-1、V-2、不適合となる。

3. 結果と考察

3.1 深層学習モデルのデータの信頼性

深層学習モデルの信頼性を確認するために、臭素化エネルギーの予測値と文献値をプロットしたデータを示す(図2)。深層学習モデルによる予測値と文献値との間の相関係数R2=0.79であり、強い相関性が認められた。なお、予測値と文献値との相関を示す直線から大きく外れるデータは、学習データの質(カバレッジ範囲)の偏りとデータ量が少ないことによって発生している。学習データを追加することで更に相関性の強いデータが得られると考えられる。

図2 臭素化エネルギーの文献値と深層モデル予測値との相関性
図2 臭素化エネルギーの文献値と深層モデル予測値との相関性

3.2 沸点の予測値

沸点における予測値と文献値のプロットしたデータを図3に示す。沸点の予測値も、予測値と文献値との間の相関係数R2=0.87であり、強い相関性が認められた。

図3 沸点の文献値と深層モデル予測値との相関性
図3 沸点の文献値と深層モデル予測値との相関性

3.3 候補剤の抽出

MIで得られた沸点と臭素化エネルギーをそれぞれX軸/Y軸とし、図4にプロットした。グラフは右上から扇形に広がる形状を描いた。2.1.の候補剤の要求特性として設定した①沸点温度が低く(樹脂の一般的な分解温度700K+100K以下)、②臭素化エネルギーが低い(反応が進みやすいゼロ以下)領域の元素を抽出(赤い囲い)した。この領域内に三酸化アンチモン(赤プロット)も含まれた。この中から環境面の観点から労働安全性法および毒劇物取締法にする抵触する化合物、難燃剤として新規性がない物質や入手が困難な材料を除き、結果として2種類の化合物を候補剤として抽出した。

図4 沸点と臭素化のギブスの自由エネルギーとの関係
図4 沸点と臭素化のギブスの自由エネルギーとの関係

3.4 難燃性試験

上記で述べた2種類の化合物を抽出し、三酸化アンチモンとともに難燃性試験を行った。なお、難燃性試験については適切な量の難燃剤と難燃助剤の量を添加し、UL試験に基づき実施した。過去の検討から三酸化アンチモンと臭素系難燃剤の組み合わせでは高い難燃性(V-0)が確保できることが知られている。今回、三酸化アンチモンと候補剤の難燃助剤との難燃性の有意差を確認するために、臭素系難燃剤と三酸化アンチモンの組み合わせにおける難燃性がV-2になるように、難燃剤の配合比を調整し、成形材料を試作した。また、候補剤の添加量については、化学反応の観点から三酸化アンチモンとポリエステルのモル比の関係が一定になるように添加量を調整した。

表1に示すように化合物Aについては、厚みが薄い領域では三酸化アンチモンよりも難燃性が劣る結果であった。しかし、厚みを確保することで難燃性を確保することができた。一方、化合物Bは成形材の厚みが薄い領域でも、三酸化アンチモンと同等の難燃性を有していた。我々の電子部品では薄肉難燃性を必要とする成形体もあるため、この化合物Bが三酸化アンチモン代替として適した難燃助剤と判断した。

表1 各種難燃助剤と成形材の厚みと難燃特性(UL)との関係
難燃助剤の種類 成形材の厚み/mm
0.4 0.8 1.6
三酸化アンチモン V-2 V-2 V-2
化合物A 不適合 V-2 V-2
化合物B V-2 V-2 V-2

4. むすび

機構デバイスといった電子部材に使用されているポリエステル系樹脂の三酸化アンチモンはRoHS規制候補物質のため、今回、我々は代替材料の探索に取り組んだ。

我々は材料メーカのように多くの材料物性データを蓄積/保有していないが、メカニズム・理論式と文献データを駆使して、自社で必要とするニッチな領域での新規化合物の探索を進められる可能性を見出した。今回は、深層学習技術を活用して難燃性特性に必要な特性予測により、ポリエステル系樹脂の難燃助剤である三酸化アンチモン代替の難燃助剤を探索できた。難燃性メカニズムを基に物性予測の深層学習モデルを構築し、候補剤を予測・抽出した。この候補剤の難燃助剤の特性が三酸化アンチモンと同等であることを見出した。

今回、臭素系難燃剤の難燃助剤として三酸化アンチモン代替となる無機系化合物の検討を行ったため、強度の低下リスクは小さく、強度評価を実施していない。今後は、難燃性以外の要求特性である強度を含めた材料特性の評価を進める。また、RoHS規制の動向を注視しながら、新規化合物の探索とともに、候補剤を含んだ難燃ポリエステル樹脂の量産性検証を進める。

謝辞

本研究に際して、アライアンス頂きました株式会社Elix代表 結城伸哉様とご協力頂いた皆様に深く感謝を申し上げます。

参考文献

1)
大越雅之.プラスチックの難燃化.成形加工.2017, Vol.29, No.12, p.449-455.
2)
西澤仁.臭素系難燃剤.日本ゴム協会誌.2019, Vol.92, No.6, p.211-217.
3)
RoHS 指令「DIRECTIVE 2011/65/EU」第6条(制限物質の見直し)
4)
石原舜三,大野哲二.世界のアンチモン鉱物資源に関する現状.資源地質.2012, Vol.62, No.1, p.91-97.
5)
西沢仁.これで解る難燃化技術.工業調査会,2004.
6)
知京豊裕.これでわかる難燃化技術.情報知識学会誌.2017, Vol.4, No.27, p.207-211.
7)
Wang, Y.; Richards, W. D.; Ong, S. P.; Miara, L. J.; Kim, J. C.; Mo, Y.; Ceder, G. Design principles for solid-state lithium superionic conductors. Nature Materials. 2015, Vol.14, p.1026-1031.
8)
柴田悦郎,Mariusz Grabda,中村崇.無機化合物の臭素化反応に関する熱力学的検討.廃棄物会論文誌.2006, Vol.17, No.6, p.361-371.
9)
Barin, I. Thermochemical Data of Pure Substances. 3rd ed, Wiley, 1995.

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