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腕時計型血圧計を実現する動脈圧迫技術

久保 大 KUBO Takeshi
オムロン ヘルスケア株式会社
開発統轄本部 技術開発統轄部
商品先行開発部
専門:ソフトウェア工学

西岡 孝哲 NISHIOKA Takanori
オムロン ヘルスケア株式会社
開発統轄本部 技術開発統轄部
商品先行開発部
専門:材料工学

オムロン ヘルスケア株式会社では、いつでも、どこでも血圧を測定できる腕時計タイプのウェアラブル血圧計の開発に取り組んでいる。ウェアラブル血圧計の実現によって測定の機会が増加し1 日の血圧変化を継続的にとらえることが可能になるのでさらなる高血圧圧診療への貢献が期待できる。
しかし常に身に着けておくことができるようにするためには、従来機種のカフ(空気袋)の幅を半分以下の幅にする必要があった。カフ幅を狭くすると動脈を圧閉するのにより高い圧力が必要になることと、安定して脈波形状を検出できなくなるために、血圧測定精度が悪化するという課題があった。
従来機種では手首を押圧して動脈を徐々に圧閉することと、そのときに動脈内の血圧の脈動に応じて発生する微小圧力振動を含んだカフ内圧力を検出することを1 つのカフで実施していた。これに対して手首を押圧することと、押圧される手首にかかる圧力の検出とをそれぞれ別のカフで行う構造とすることで、カフ幅を従来の52mm から25mmと半分以下の幅にすることができ、かつ世界で初めて医療機器認証を取得して測定精度を保証したウェアラブル血圧計の開発に成功した。

1.まえがき

1.1 開発の背景

現在では高血圧の治療や血圧管理のために家庭血圧の意義が臨床上も認められている。
家庭での血圧測定が普及した背景には特別な知識や手技を必要としないオシロメトリック法による血圧測定方法が開発されたこと、大迫研究等の家庭血圧の臨床的価値を裏付ける臨床研究、疫学研究1),2),3)の成果の蓄積に基づいた高血圧診断基準が確立したことなどがあげられる。
一方で家庭用血圧計が普及して高血圧診療への利用が進んできた現在においても十分な降圧治療が行われていない事例も多いことが知られている4)。その原因の一つとして家庭で朝晩などに数回測定した血圧や病院で診察時に測った血圧だけでは必ずしもその人の1 日のうちで様々に変動する血圧の高い部分をとらえられていない可能性があることが考えられる5)
1日中装着して30分~2時間間隔で血圧を測る装置としてはABPM(Ambulatory Blood Pressure Monitoring, 24時間血圧測定)があるが上腕にカフを装着して腰に装着した血圧計本体までゴムチューブでつなぐという不自由なものであり、これを毎日装着して過ごすことは困難である。
そこでオムロン ヘルスケア株式会社では、使用者への負担が少なく常時装着していつでも血圧を計測できるウェアラブル血圧計を開発して高血圧診療に更に貢献する取り組みを続けている。

1.2 血圧測定方式の選択

最近ではカフを用いずに血圧を測定する機能がスマートウォッチなどのウェアラブル機器に搭載されている例が見られる。しかし現時点では高血圧診療に有効であると認められ、医療機器として承認されているカフを用いた測定方式による血圧計をウェアラブルなものにすることの意義が大きいと考え本血圧計を実現することとした。
カフを用いない血圧測定方式は、動脈内の血流の速さや脈動の大きさなどの血圧変化に相関する特徴量を用いてその変化量を血圧変化量に換算し血圧値を推定する方法である。しかし、正確な測定のためには頻繁に基準とする血圧を別の血圧計で測定する必要がある。なぜなら血圧変化に相関する特徴量は動脈の硬さや弾性の変化にも影響を受けてしまい、そしてこの動脈の変化は自律神経系で調節され感情や運動、食事、睡眠、温度など日常の生活の中で刻々と変わってしまうものだからである。
このような原理上の課題を克服できたとしても次に必要なことは、高血圧の診断や治療に用いて従来の血圧計より同等かそれ以上に臨床的な意味があると医学会や多くの血圧測定が必要な人々に向けて証明し、認知してもらうことである。
オムロン株式会社として初の家庭用血圧計を1978 年に発売してから日本高血圧学会の高血圧治療ガイドライン2014 年版6)にて「診察室血圧と家庭血圧の間に診断の差がある場合、家庭血圧による診断を優先する。」と認知されるまでに37 年を要している。今後カフ方式に取って代われる性能を持つ革新的なウェアラブル血圧計が実現できたときにはこれよりはるかに速いスピードで臨床的なエビデンス構築や認知が進むことは予想できるが、それが数年先である可能性は低い。やはり今認められている測定方式で開発することがいち早く高血圧診療に貢献できることだと考えられる。
しかし、さらに低拘束でいつでも正確に血圧を測定できる装置を開発することは、血圧管理を精密かつ容易にして高血圧に起因する脳・心血管疾患のイベントの発症を防ぐという社会的課題の解決に直接貢献できることであり、今後も革新的な血圧測定方式や装置の開発に取り組んでいく必要は十分にある。

1.3 カフ幅の目標値と技術的アプローチ

前節までに述べたような理由で本開発ではカフを使用した血圧測定方式を採用した。従来から小型で持ち運びに便利な手首式血圧計も開発してきたが、カフを含む手首への巻き付け部分の幅は狭いものでも64 mm あり常時装着するには大きすぎる。ウェアラブルな装置とするためにはこの巻き付け部分の幅を少なくとも半分以下とし、それに見合うように本体部分の小型化も必要である。
巻き付け部分の幅の目標を30mmとするとその中に収納できるカフは25mm程度の幅しかとることができない。しかしカフ幅を狭くすると手首動脈を圧迫する力の不足、カフ内圧と実際に動脈にかかる圧力との極端な乖離などが発生するので正しく血圧値を計測できないという課題が発生する。
正確な測定のためには圧迫する腕や手首の太さに応じた適正なカフ幅が必要であることは古くから報告されている。
例えば、Alexander らによるとカフ内圧を動脈に十分伝えるためには装着する腕の直径の1.2 倍以上のカフ幅が必要だとされている7)
自社の手首式血圧計では構造や材料の工夫により適用手首周の最大である215mm に対してカフ幅は52mm、直径比約0.8 倍まで狭くすることができている。しかし本開発ではさらにその半分以下であるカフ幅25mmを開発目標とすることにした。これは従来構造の改良の延長では解決できない課題と考え、圧迫構造と圧力センシング方法について見直すこととした。
具体的には従来は一つのカフで手首と動脈の押圧と、その時の圧力と動脈から伝わった微小圧力振動の検出を実施していた。これに対して手首と動脈を押圧するためのカフ(押圧カフ)と手首表面にかかる圧力を検出するためのカフ(センシングカフ)とに機能分担し、さらに押圧時に動脈に伝わる圧力分布を適正にする背板構造を加えるという押圧センシング構造の変更を考えた。次章からこのカフ構造で測定精度を確保しつつカフ幅を半分以下することに成功した開発の詳細について説明する。

2.血圧計の測定原理とカフ幅の課題

2.1 オシロメトリック法

血圧測定方法には、動脈内にカテーテルを置き直接圧力を計測する観血血圧計測法と、カフによって外部から加えた圧力と動脈内圧との相互作用から発生する物理現象を利用して非侵襲的に血圧を推定する非観血血圧測定法がある。
家庭用血圧計としては、非観血血圧測定法であるオシロメトリック法が広く普及している。
オシロメトリック法では上腕や手首に巻いたカフ内の圧力(カフ内圧)を最高血圧以上に加圧した後、徐々に減圧させながらカフ内圧に重畳する圧力振動を検出する。この圧力振動は動脈の内圧すなわち血圧と動脈を締め付ける圧力との関係で発生する。カフ内圧が最高血圧より低くなると圧閉されていた動脈が少し開閉をはじめ、カフ内圧の減少とともに動脈が開くときの面積は大きくなる。さらに減圧して最低血圧よりも低くなると動脈は開いた状態から少し膨らむように動き面積の変化は小さくなる。この動脈の断面積変化はカフに伝達しカフ自体の容積を微少に変化させカフ内圧の微小な振動を発生させる。減圧と微小圧力振動の様子を図1 に示す。
図1 上段は減圧するカフ内圧と重畳した微小圧力振動を、下段はハイパスフィルタを用いて検出した微小圧力振動波形である。この脈動波形の大きさの変化から最高血圧と最低血圧を決定することができる。カフ内圧を徐々に加圧した場合でも同様の情報を得られるので加圧しながら測る血圧計もある。

図1 オシロメトリック法のカフ内圧と微小圧力振動波形
図1 オシロメトリック法のカフ内圧と微小圧力振動波形

2.2 カフ幅を狭くした場合の技術課題

血圧の測定に使用する圧力はカフの内圧である。押圧するカフの内圧が押圧下の動脈にかかる圧力とほぼ等しいことを前提として動脈の内外圧の相互作用を利用して血圧を測定する。
カフ幅を狭くすると以下の2 つの課題が発生する。
(1)動脈を圧閉するのにより高いカフ内圧が必要となる
(2)カフに重畳する振動のロバスト性が低下する
それぞれの課題の発生原因について次節に説明する。

2.2.1 動脈を圧閉するのにより高い圧力が必要

図2に示すように同じカフ内圧Psで加圧しても幅を狭くしたカフでは膨らみがdsだけ足りなくなる。いわゆるストロークが足りない状態である。この不足分dsを補って動脈を圧閉するには、さらにカフ内圧を上昇させてカフを膨らませる必要がある。

図2 カフ幅のカフ内圧への影響
図2 カフ幅のカフ内圧への影響

カフ内圧と手首を押す圧力となるカフ外圧の差(内外圧差)はカフが膨らめば膨らむほど大きくなる。その様子を図3 に示す。

図3 表面張力の増加による圧迫力の阻害
図3 表面張力の増加による圧迫力の阻害

カフの膨らみでカフシートがたくさん伸ばされると張力は増加する(FSWFSN)。さらに膨らみによる作用角の増加も起きるので張力の合成力は格段に大きくなる(FTWFTN)。従って手首に対して同じ押圧力FCであってもカフ内圧は狭い幅のカフの方が非常に大きくなる(PCWPCN)。

2.2.2 脈波振動のロバスト性の低下

カフ幅が広い場合は、動脈周辺に図4 に示すように頂上部分が均一になる圧力分布を形成することができる。一方狭い幅のカフでは均一な部分がなくなり山形となる。

図4 圧分布と容積振動波形の変化
図4 圧分布と容積振動波形の変化

カフ内圧に重畳するカフ圧脈波は脈動する血圧と動脈の外圧との差から生じる動脈の容積変化がカフ容積を振動させて発生する。動脈外壁への圧力分布が均一でない場合には一様でない容積変化が合成されたものがカフ圧脈波として検出される。図4 の合成された波形の部分にそのイメージを示す。狭い幅のカフの場合には合成前の主となる波形の割合が少ないので中心部分の波形からはかなりぼやけた形状となることが推測できる。圧分布の様子は手首周や骨格の形状、肉質などといった人それぞれの特徴に左右されるので人毎に誤差の傾向が異なりばらつきを大きくする。またカフ装着のわずかなずれがこの圧分布を変化させるので測定の再現性を悪くしてしまう。

3.ウェアラブル血圧計の実現

3.1 装置外観とカフ構造

前章にてカフ幅を狭くすることで生じる課題について述べた。しかし常時装着できる血圧計を実現するためには腕時計のような大きさやデザインに血圧計の機能を持たせることが必要であると考えた。図5 に今回開発したカフ構造を搭載した製品、ウェアラブル血圧計 HeartGuideTMを手首に装着した様子を示す。

図5 ウェアラブル血圧計 HeartGuide TM
図5 ウェアラブル血圧計 HeartGuideTM

本製品のベルト幅は30mmでありその内側にあるカフの幅は25mmである。ここまで幅を狭くすると手首に時計のような感覚で常時装着することができる。
次にこの血圧計を手首に装着して測定状態にあるときのカフ構造と手首の断面を図6 に示す。操作表示部がある本体は図の下部の手首の甲側にある。本体の両端に固定したベルトでカフ構造部分を手首に巻き上部掌側で締結して装着する。

図6 カフ構造の断面図
図6 カフ構造の断面図

カフ構造部分はベルトの内側にあるカーラに固定してあり位置決めと装着を容易にしている。上部からアシストカフ、背板、センシングカフの順に配置してあり手首の甲側には引張カフを配置してある。センシングカフが手首の掌側を覆うように位置決めして装着し血圧を測定する。
血圧測定時は引張カフとアシストカフが膨らむことで手首を表裏から挟み込むように徐々に圧迫する。センシングカフは押しつけられている手首表面の圧力とそこに重畳する微小圧力振動を検出する。この微小圧力振動は橈骨および尺骨動脈内の血圧の脈動と動脈周辺の圧力との関係によって変化する動脈の開閉振動がセンシングカフに伝わったものである。背板は動脈に対してできる限りフラットな圧力分布を与える働きをする。

3.2 押圧カフの幅を狭くする

図6 は実際の製品の構造を示しており、引張カフとアシストカフが膨らみ上下から手首と橈骨、尺骨各動脈を圧迫する構造となっている。しかしここでは説明をわかりやすくするために図7 に示すように一つの押圧カフで手首を押圧する構造を考えることにする。
押圧カフには前章2.2.2 節で述べたロバスト性の課題を発生させないためにフラットな圧力分布で動脈の押圧、圧閉ができること、という要求がある。
フラットな押圧分布をもって動脈を圧迫するためには手首表面をフラットに押圧する必要がある。そのために背板を導入してフラットな押圧面を作ることにした。
図7 に背板の有無による圧力分布の変化を示す。

図7 背板による圧分布のフラット化
図7 背板による圧分布のフラット化

3.3 背板によるフラットな押圧力分布の形成

フラットな押圧分布を作ることができるかどうかをまずCAE(Computer Aided Engineering)解析プログラムを用いて動脈にかかる圧力分布をシミュレーションすることで確認した。
押圧カフの内圧を300mmHg まで加圧したときの動脈周辺の圧力と皮膚表面の圧力分布を3 種類のカフ幅でシミュレーションした結果を 図8 に示す。

図8 圧力分布シミュレーション
図8 圧力分布シミュレーション

カフ幅60mm(右)は既存の手首式血圧計のカフ幅に近い条件、カフ幅25mm(左)は今回の目標である条件、中間条件としてカフ幅40mm を加えた。
カフ幅60mm では圧力分布の頂点は押圧した300mmHgとほぼ一致しており頂上付近には若干フラットな部分も存在する。しかし他の2 つの狭いカフ幅条件では圧力の最大部分でも300mmHg には達しなかった。このシミュレーションでは前項2.2.1 で述べた通りの結果が得られた。
次に幅25mmのカフに背板を張り付けた条件でカフ内圧を300mmHg まで加圧したときの動脈周辺の圧力と皮膚表面の圧力についてシミュレーションを実施した。結果を図9 に示す。

図9 圧力分布シミュレーション(背板あり)
図9 圧力分布シミュレーション(背板あり)

背板の条件は厚さ0.15mm の金属板(SUS)とPET 樹脂(厚さ0.35mm)とした。
シミュレーションの結果では動脈周囲にフラットな分布がみられるのは金属(SUS)の背板の方だけであった。PET 樹脂は屈曲して手首表面自体をフラットに押せなくなったと考えられる。
しかしこの結果からフラットな圧力分布は軸方向の板の固さである程度コントロールできることが分かった。そこで手首の軸方向では屈曲しにくく周方向では手首の曲面にフレキシブルにフィットする構造の背板を製作して押圧カフに張り付け圧迫構造を実現することとした。
またどちらの条件でも動脈付近の圧力は押圧した300mmHg よりもかなり低く100mmHg 前後である。これは前述のようにカフ幅を狭くすると動脈への到達圧が低下するのに加えて、背板を導入するとさらに到達圧が低下する傾向にあることを示している。

3.4 押圧カフ+センシングカフ構造

背板を導入し調整することで3.2 節 図7 の右側に示した圧迫構造が実現できた。そこでこの圧迫構造で実際に人体の手首を押圧したときに動脈にかかる圧力と押圧カフの圧力との間にどの程度の差が生じるのかを確認する実験を行った。
図10 にその様子を示す。最高血圧が110 mmHg の被験者の手首を徐々に加圧していくと約22 秒付近でフィルタ脈波の振動がほぼ消失した。フィルタ脈波は脈1 拍ごとの最低血圧から最高血圧までの動脈内の圧力振動と動脈周囲の圧力との関係から生じる脈動を抽出したものである。被験者の動脈周辺に最高血圧の110mmHg よりも若干高い圧力がかかったときに動脈は圧閉しフィルタ脈波は振動しなくなる。
この22 秒時点での押圧カフの内圧は約255 mmHg である。すなわち動脈に対して伝わった圧力との差圧は約145mmHg 近く生じている。これは前の3.3 節で述べたようにカフ幅を狭くしたことと背板を取り付けたことで生じた実際の圧力差である。

図10 押圧カフ内圧と動脈圧閉圧力
図10 押圧カフ内圧と動脈圧閉圧力

押圧カフの内圧が動脈付近の圧力とかけ離れており血圧計測にカフ内圧値は使用できない。したがって動脈付近にかかる圧力を別の手段で計測する必要がある。そこで背板と手首表面との間に圧力センサーを挟み圧力を検出することを考えた。
圧力センサーとしては面圧センサーやひずみゲージを複数取り付けるなどの方法が考えられるが感圧面には手首の腱や骨格がなどの固い部分もありこれらの部位の押圧に対する反力は強いのでまだらな圧力分布が生じる。この圧力分布から動脈にかかる圧力を推定するには3 次元での複雑な解析が必要になり現実的ではない。
またひずみゲージはゲージを張り付ける起歪体自身が感度や精度を決めるので手首の押圧に合わせてフレキシブルに変形する背板の下で血圧測定が可能な圧力分解能と精度得ることは困難である。
そこで考えたのが薄いシートの周囲を溶着して袋状の構造にしたセンシングカフである。図11 に微少な流体を注入したセンシングカフが押圧カフに背板を介して押され生体を圧迫する様子を示す。

図11 センシングカフによる圧力センシング
図11 センシングカフによる圧力センシング

図11 の(a)、(b)、(c)、においてセンシングカフ内圧をPsとする。図(a)はセンシングカフに左右の壁(厚みd)が大きい場合を示している。この場合内圧Psによって生じた横向きの力Fsがセンシングカフの上下のシートを左右に引っ張るので生体の表面圧Paとセンシングカフ内圧PsPsPwの関係となる。両者の差を小さくするには限りなく壁の高さdを小さくすればよいことが分かる。
図(b)にdをほぼゼロとしたセンシングカフが生体を圧迫している様子を示す。このときは横向きに引っ張る力はほとんど発生しないのでPsPaが成り立つ。
次に図(b)の構造で手首を圧迫したときの断面の様子を図(c)に模式的に示す。手首には腱と橈骨、尺骨の両動脈を示してある。普通腱は硬く張力を持っているので押圧に対する強い反力Pbがセンシングカフを部分的に押しつぶす。逃げた流体が両動脈上の比較的柔らかい組織上に溜り内圧Psと皮膚表面圧Paがバランスしている。流体量が微少で膨らみが小さい場合にはPsPaが成り立ち、生体を垂直に押しているとすると皮膚表面圧Paは動脈壁周辺にかかる圧力とほぼ等しいと考えることができる。従ってセンシングカフ内圧Psは動脈壁にかかる圧力に非常に近い圧力であることが期待できる。
なおセンシングカフに注入する流体の材料は微少量なので非圧縮であることや動脈の振動の伝達の妨げにならないように粘性が低いことが望ましい。しかし水などの流体をセンシングカフ内に一定微少量保持しておくことは現実的ではない。したがって圧縮性はあるが血圧計のポンプや弁で制御可能な空気を測定の都度一定量を充填することにした。センシングカフ内の空気量は圧力検出感度に影響し、測定精度に直接関係するのでその注入量のロバスト性の確保や注入する量の最適化には多くの検討が必要であったがここでは説明を省略する。

3.5 背板とセンシングカフのしわと折れ

次に血圧の高い人を測定するためさらに高圧に加圧すると血圧測定誤差のばらつきが大きくなる現象が発生した。これは高圧になると手首がさらに圧縮されて装着時に背板とセンシングカフが乗った範囲の沿面距離が短くなってしまうために屈曲や皺が発生することが原因であると考えられた。
模擬手首を圧迫してX 線CT によって約300mmHg で加圧したときのセンシングカフの屈曲の様子を図12 に示す。

図12 押圧方式による屈曲の例
図12 押圧方式による屈曲の例

屈曲したセンシングカフと背板が模擬手首を掴むような形になっており、その先端に空気が集まっている。この部分は手首表面に正対しておらず血圧と直接関係しない圧力なので測定誤差を大きくかつ、ばらつかせていると考えられた。正しく手首表面の押圧圧力を検出するためには突っ張りや皺ができないように背板とセンシングカフを押し付ける必要がある。

3.6 引張カフで屈曲を解決

そこで装着したときの状態のまま背板とセンシングカフを引張って手首を圧迫する方法を考えた。これを実現するために引張用のカフ(引張カフ)を手首の甲側に設けこのカフの膨らみを利用して圧迫することとした。
引張構造にすることでセンシングカフは突っ張ったり皺になったりすることなく掌側の手首表面に張り付き手首を押圧することができるようになった。改善した圧迫の様子を図13 に示す。

図13 引張方式のセンシングカフの様子
図13 引張方式のセンシングカフの様子

実際の製品では手首の圧迫を効率的にしてユーザビリティを向上させるための補助として背板の外側にアシストカフを追加している。

3.7 狭い幅のカフでの圧迫構造の実現

手首式血圧では従来は52mm以上のカフ幅がないと医療機器としての血圧測定精度への要求を満すことが難しかった。
しかし今回、背板、センシングカフ、引張カフなどを使った狭い幅の圧迫構造を開発したことで約25mmという狭いカフ幅でも十分な手首動脈の圧迫と圧力センシング性能を得られたので、目的とする“腕時計のように常時手首に装着していつでも測定することができる血圧計” を製品化することができた。
血圧測定精度とウェアラブル血圧計としての有用性、および製品仕様の概略については次章で説明する。

4.腕時計型血圧計の測定精度と有用性

2019 年1 月にアメリカFDA(U.S. Food and Drug Administration,アメリカ食品医薬品局)の医療機器認証を取得した腕時計タイプのウェアラブル血圧計 Heart GuideTMを発売した。常に変化する血圧の変動を捉えることで、健康診断だけではわからない高血圧のリスクや個人ごとに異なる血圧変動の特徴を把握することが可能となる。

4.1 測定精度

血圧計の測定精度については、米国の採用する非観血血圧計の自動血圧計の臨床試験規格であるANSI/AMMI/ISO81060-2:2013 が要求する臨床精度を満足している。その結果を表1 に示す。その精度論文はThe Journal of Clinical Hypertension8)に掲載され、本腕時計タイプのウェアラブル血圧計の正確性が示された。

表1 解析条件
Validation for HEM-6410T-ZM
(米国向けM サイズ)
Validation for HEM-6410T-ZL
(米国向けL サイズ)
Difference of SBP for criterion1,mmHg -0.9±7.6(passed) 2.4±7.3(passed)
Difference of SBP for criterion2,mmHg -0.9±6.8(passed) 2.4±6.5(passed)
Difference of DBP for criterion1,mmHg -1.1±6.1(passed) 0.7±7.0(passed)
Difference of DBP for criterion2,mmHg -1.1±5.5(passed) 0.7±6.5(passed)

Date are expressed as means±standard deviations.

また、ABPM(Ambulatory Blood Pressure Monitoring, 24 時間血圧測定)とウェアラブル血圧計Heart GuideTMの夜間を除く日中での血圧測定比較も実施され、ウェアラブル血圧計Heart GuideTMの測定値は、日中血圧計測のスタンダードであるABPM と同等であり、高血圧診療の信頼性を高める可能性が示された9)

4.2 製品仕様

図14 に製品外観、表2 に製品の主要な仕様を示す。バンド幅は、これまでの従来機種の64mm から半分以下の30mm を実現した。

図14 製品外観
図14 製品外観
表2 製品仕様
Model BP8000-M( HEM-6410T-ZM)
Dimensions Diameter approximately 48 mm, Case thickness approximately 14 mm, Band width approximately 30 mm
Weight Approximately 115 g
Display Transflective memory-in-pixel LCD
Measurable wrist circumference 160 to 190 mm
Battery life Two days (8times/day measurements)

5. むすび

カフ幅を狭くすると動脈を圧閉するのにより高い圧力が必要になることと、安定して脈波形状を検出できないために、血圧測定精度が悪化するという課題があった。従来機種では手首を押圧して動脈を徐々に圧閉することと、そのときに動脈内の血圧の脈動に応じて発生する微小圧力振動を含んだカフ内圧力を検出することを1 つのカフで実施していた。上記課題を解決するために手首を押圧することと、押圧される手首にかかる圧力の検出とをそれぞれ別のカフで行う構造とすることで、従来機種のバンド幅64mmから半分以下の30mmを実現した。また、本稿では記載していないが、本体サイズも従来機種の約3 分の1 に小型化することで、腕時計タイプのウェアラブル血圧計を実現した。
オムロン ヘルスケア株式会社は、血圧測定の頻度を高めて、危険な血圧変動をとらえ、疾病リスクを予測し、脳・心血管疾患の発症を防ぐ「ゼロイベント」に取り組んでいる。開発した腕時計タイプのウェアラブル血圧計は、その第一歩となる。今後は、より多くの人に身に着けてもらうために、更なる小型化を行い、睡眠時の夜間計測も可能にすることで、いつでも、どこでも、だれでも血圧測定できることによって「ゼロイベント」の実現を目指す。

参考文献

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Shirasaki, O. Roles and advancements of blood pressure monitors in cardiovascular medicine. The Japanese Journal of Medical Instrumentation. 2010, Vol.80, No.6, p.622-631.
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今井潤,大久保孝義,菊谷晶浩,橋本潤一郎.家庭血圧の臨床応用.日本内科学会雑誌.2004, Vol.93, No.9, p.202-209.
4)
Rapsomaniki, E; Timmis, A; George, J; Rodriguez, M; Shah, A; Denaxas, S; White, I; Cauleld, M; Deaneld, J; Smeeth, L; Williams, B; Hingorani, A; Hemingway, H. Blood Pressure and Incidence of Twelve Cardiovascular Diseases: Lifetime Risks, Healthy Life-Years Lost, and Age-Specific Associations in 125 Million People. Lancet. 2014, Vol.383, No.9932, p.1899-1911.
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Pickering, TG. The ninth Sir George Pickering memorial lecture. Ambulatory monitoring and the definition of hypertension. J Hypertens. 1992, Vol.10, p.401-409.
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7)
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8)
Kuwabara, M; Harada, K; Hishiki, Y; Kario, K. Validation of two watch-type wearable blood pressure monitors according to the ANSI/AAMI/ISO81060-2:2013 guidelines: Omron HEM-6410T-ZM and HEM-6410T-ZL. J. Clin. Hypertens. 2019, Vol.21, p.853-858.
9)
Kario, K; Shimbo, D; Tomitani, N; Kanegae, H; Schwarts, JE; Williams, B. The first study comparing a wearable watch-type blood pressure monitor with a conventional ambulatory blood pressure monitor on in-office and out-of-office settings. J. Clin. Hypertens. 2020, Vol.22, p.1-7.

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