ビジョナリーの視点 -オムロン創業者・立石一真の思考から紐解くイノベーションと企業経営- 第三話 将来を考える経営者として構築した、未来予測理論「サイニック理論」

8回にわたって、稀有な技術系経営者であったオムロンの創業者、立石一真の思考と思索の跡をたどり、その成長の過程とビジネス哲学の背景を紐解いていく本コラム。

第三回目は、「経営者とは、将来を考える人である」というモットーを持っていた一真が、世の中に先んじて事業を展開していくうえで不可欠な、未来社会についての見通しや、時代ごとに変化する解決すべき社会的課題の見極めていくために構築した「サイニック(SINIC)理論」について紹介します。50年も前に構想されながら現在も通用する「未来を見据えた考え方」に、一真はいかにして到達し、どんな未来を思い描いていたのでしょうか。


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時代の変化をいち早くとらえた一真が求めた「未来をみる羅針盤」

1968年、日本はGNP(国民総生産)が世界2位となりました。その翌年1969年1月の年頭所感で、一真は「日本も、いよいよ先進国の仲間入りをした以上、今までのように先輩、先進国の手本があって、これを真似てやれば間違いなしにやれた、という時代は過ぎた。従来は、技術を導入していれば何とかなったが、いよいよ先進国の仲間入りをして、同じスタートラインに立って欧米諸国と競うのだから、もう手本はない。われわれの創意工夫があるのみである。そういう力がないと世界で勝負するにも、勝負にならぬ。ものごとを総合的に見る英知と、先の見通しができる能力を身につける必要がある。

最近、よく未来学が話題になっているが、経営学は適者生存の法則から出てきた過去学であるので、これからは未来を考える未来学を勉強する必要がある。スタートラインに並んだ以上、未来学を勉強し、手本なしで進んできた先進国と勝負せねばならぬ。10年ほど前の経営学ブームに代わって、未来学の時代となるだろうし、これが、われわれに示唆をあたえるだろう。未来学は、創造学でもある。また、ドラッガー博士の『断絶の時代』にいう、非連続が政治、経済、社会の構造を変革しつつある。いままでの発想法や経験から、演繹(えんえき)的に結論づけることのできぬ時代、未来は現在の延長なりとする、いままでの思考路線が断絶していく。そのためには、創意工夫が必要となる。」と述べました。

その1年後、1970年4月10日から16日に開催された「京都国際未来学会」で、オムロンは、未来予測理論「サイニック理論」を発表しました。

科学・技術・社会の円環的な関係に着目して未来を予測する「サイニック理論」

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SINIC理論の詳細はコチラから

サイニック理論のサイニック(SINIC)とは、"Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution"の頭文字をとったもので、「イノベーション(技術革新)の円環論的展開」のような意味となります。

サイニック理論の基本的な考え方は、科学・技術・社会が相互に作用しながら発展していくというものです。この相互作用は2つの方向性があります。1つは、シーズ(新しい科学から、さらに新たな技術が生まれる際に受け渡される種)からイノベーションに至る流れであり、イノベーションがもたらすインパクトが社会の変貌を促します。もう1つはこれと反対方向の流れにあたり、社会に新たなニーズが生まれると、そのソーシャルニーズを満たすために新しい技術の開発が促され、もしも既存の科学や技術で解決できなければ、新たな科学の誕生を促す刺激になるというものです。

これら2つの方向性は、互いに原因でもあり結果でもあるという円環状の関係にあり、その相互作用によって社会が発展していくという考え方が、SINIC理論の中核となります。また、前提となる進化の原動力として、人間の「進歩志向的意欲」(自ら成長していこうとする思い)があるという点は、常に人の可能性を信じていた一真らしい部分だといえるでしょう。

たとえば、過去に社会が機械化から自動化への革新が進んだ背景には自動制御技術がありましたが、その種となったのは制御科学でした。一方で、自動制御技術から刺激を受けて生まれたサイバネティックスという新しい科学もありました。

1947年にノーバート・ウィーナー博士によって提唱されたサイバネティックスは、人工頭脳学ともいわれ、数学をはじめ、医学、化学、物理など15〜16種類の学問を統合的に扱って、人間の脳神経系の働きを解明した学問です。さらに、サイバネティクスが種となって、制御(コントロール)とコンピューター技術を組み合わせたサイバーネーションという新たな技術も開発されました。このサイバーネーションに、通信(コミュニケーション)技術が加わることで、3Cとも称される技術を融合した電子制御技術が誕生し、社会の情報化が推進されていきました。

このような流れをサイニック理論に当てはめて俯瞰することができた一真は、まだコンピューターの黎明期であった1970年代初頭に情報化関連事業の成長を確信し、自信を持ってこの分野への投資を進めていきました。1976年には当時日本ではめずらしかったソフトウェア開発の専門会社「立石ソフトウェア株式会社(現オムロン ソフトウェア株式会社)」を設立、日本の情報化社会の発展に貢献しました。

一真は、京都国際未来学会での発表の冒頭に「企業経営者が、このような論文を発表することに対し、やや奇異の感を抱く方があると思うが、その疑問に対しては、こうお答えしたい。企業経営上、もっとも重要な仕事は、研究開発であり、その研究開発で未来の新しいマーケットを開発することである。その研究開発は、ソーシャルニーズの刺激により行われる。そこで、われわれ経営者の重要な仕事は、現代社会はもちろん、未来社会のニーズをできるだけ早く捉えることである。それには、未来社会がどんなふうに変容するかを見極める必要がある。私は、従来の経営学は『過去の経営学』であるとさえ考えている。なぜならば、経営者としての私のモットーは『経営者とは、将来を考える人』であるからである」と述べています。

情報化、最適化を経て自律社会へと向かう未来

VUCA*の時代と言われ、なかなか先の見えにくい現在ですが、社会全体の大きな傾向としては、これまでの工業・情報化社会における豊かさの象徴であったモノやお金を重視して経済成長こそが正義とみなされた時期を過ぎ、「こころ中心」の「最適化社会」へと移行しつつあると捉えられています。

その先には、2025年を目処に「自律社会」が訪れるとされ、工業・情報化社会の問題点として挙げられていた、一極集中型の社会構造や地域格差、コミュニティの崩壊なども、新たな価値観のもとで解決に向かう見込みです。SNSにおける承認欲求の高まりや、シェアリングエコノミーの普及、循環型で永続的に再生・再利用を行うサーキュラーエコノミーへの関心も、そうした新しい価値観を象徴しており、集団での価値の共有や体験を重視すると共に、自分らしい生き方を自ら実現させて生きる歓びを享受できる成熟した社会環境の実現が期待されています。

一真は、サイニック理論が示すように、近未来デザインを起点として今なすべきことを考えるバックキャスト型の発想で社会課題を解決し、世の中をより良い社会へ変えていくための礎を築きました。オムロンは、VUCAの時代にあっても、一真から引き継いだサイニック理論を経営の羅針盤として、あるべき未来を考え、よりよい社会の実現へとつなげていくための挑戦を今も続けているのです。

次回は、人々の生活を豊かにする製品の普及を支えるため、一真が情熱を持って取り組んだモノづくりの「オートメーション(自動化)」についてご紹介します。

* VUCA:変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)の頭文字を並べたもので、先行きが見えにくい状態を表しており、現代の経営環境や個人のキャリアを取り巻く状況を表現するキーワードとして使われている。

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