いま、野菜の高騰が世界中で社会問題化している。地球温暖化に起因する異常気象、農業従事者の減少や輸送にかかるエネルギーの高騰、毎年数十億ドルもの食料廃棄問題など、その要因は多岐にわたる。
こうした状況が長期間にわたって続けば、現在の生産サイクルは持続可能とはいえない。より環境にやさしい、新しい食料生産方法を生み出すことが急務だ。
そんな社会課題の解決に強い想いをもって取り組んでいる人物がいる。イギリスのオムロンインダストリアルオートメーション事業のメンバーであるカシム・オキーラ。これからの時代を担う農作物生産システムの開発という、彼の挑戦を追った。
ロンドンの大学を卒業したカシムは、英国最大の制御・オートメーション機器専門商社に入社し、世界中の大規模プロジェクトに取り組んできた。しかし、いつかは事業開発側の立場で社会に貢献していきたいという想いを持っていた彼は、2015年にフィールドセールスエンジニアとしてオムロンのインダストリアルオートメーション事業へ入社。オムロンは、制御機器だけでなくヘルスケアやモビリティといった事業が多岐にわたるため、さまざまなことにチャレンジできる環境があり、また障がい者雇用への積極的な取り組みなど社会課題の解決を実行していく姿勢に惹かれて入社を決意した。商業上の利益にとどまらない普遍的な価値観や原理に基づいているグローバルな企業という印象をオムロンに抱いていたのだ。
そのころ、室内農業分野を対象とした革新的技術の最前線に立つ新興テクノロジー企業であるインテリジェント・グロース・ソリューションズ(以下、IGS)は、農作物生産の最適化のため、「自動垂直農法」への取り組みを開始していた。スコットランドにある作物学分野のトップ研究機関ジェームズ・ハットン・インスティチュート(以下、JHI)とともに開始した取り組みだったが、実際にアプリケーションとして実現していくためには、オートメーション領域におけるソリューションプロバイダーが不可欠だった。
IGSは様々な企業を検討していく中、一つの提携先の候補を見つける。ソリューションを有するだけでなく、社会的責任を追及する企業姿勢を持ち合わせて一緒に取り組んでいきたいと思わせる企業、それがオムロンであった。
農業に知見のある2社にオートメーション技術を持ったオムロンが加わり、IoTを活用した英国初の「自動垂直農法」を立ち上げるプロジェクトが始まった。オムロン側のチームを率いるリーダーはカシムがアサインされた。当初はまだ構想段階だったが、パートナーたちのこのプロジェクトにかける想いや文脈を理解するころには、彼自身もオムロンのテクノロジーを使って実現したいと想いを強めていった。
当初は、過去に例を見ない取り組みであったことから、プロジェクトへの理解を深めることは困難を極めた。そのような中でも、カシムは目の前にある社会課題を事業を通じて解決したいという信念に基づき推進、そしてプロジェクトは動き始めた。
垂直農法とは、空間を有効に活用して農作物を生産する方法で、2023年までに64億米ドルの規模に達する(23.6%CAGR)と推計※されており、近年注目が高まりつつある分野である。
※出典:Allied Market Research
そして、今回の自動垂直農法は建造物内にライト付きの苗床用エレベーターを設置し、作物の状態を常にセンシングしながら塔内環境をコントロールするという自動化技術が加わった生産システムだ。
これは、IGSで特許取得済みの電源と通信の機能を兼ね備えたプラットフォームにより管理されており、この自動化を担う技術にNJ・NXマシンオートメーションコントローラを中心とした「オムロン・シスマック・アーキテクチャ(Sysmac)」やモバイルロボットLDシリーズが活用されている。
自動垂直農法には、大きく4つの利点がある。
これらにより、食料生産の真に持続可能なソリューションを実現しているのだ。
しかし、実現するための道のりは決して平坦なものではなかった。主にオムロン側のプロジェクトマネジメントという立場でパートナーの要望を実現するためのシステム提案を担当したカシムにとっては、いろいろな意味で従来とは全く異なる取り組みであったからだ。
例えば、農業という業界。これはカシムにとって従来関わってきた業界とは勝手がまったく違っており、課題の技術面でアイデアを提案する前にまずその業界について多くを学ばなければならなかった。
「従来携わってきた業務を超えた話に追従できるよう『アジャイル型アプローチ』を心掛け、常にアンテナを張っていなければなりません。また、プロジェクトは絶えず進化しており、ソリューションやアプローチの再考は日常でした」
しかし、カシム自身は不思議と高いモチベーションを維持したまま本件には取り組めたという。
「それは、事業を通じて社会に貢献したいという信念があったからです。また、ともにプロジェクトを進めたチームメンバーも長期的な取り組みになることから不安はあったようですが、グローバルインパクトや目的の重要性を理解していたため、みんなポジティブにサポートしてくれました。プロジェクト開始から約3年、とうとうシステムも実用化してきており、今まさに結果が出てきているところです」
カシムは「他社との協業は、イノベーションを生み出す無限の可能性を秘めている」と断言する。実際、自動垂直農法では植物科学、オートメーション、光工学、電力管理の結集により「環境に配慮した都市型農業」として農業生産を真に持続可能にするソリューションが誕生した。例えば、農地の確保が難しいとされるイギリスの都市でも土地を節約したうえで、さらに作物を安定して生産することができる。
もちろん、カシムの挑戦はまだ終わらない。今後もIGSとともにAIやマシン・ラーニング(機械学習)に関する議論を深めながら協業を加速し、近い将来、栽培棟が完全に自動化することを目標に掲げている。種を撒けば、収穫できる状態にまで農作物が自動で育つ。そうなれば、世界が抱える食料危機だけでなく、農業における人手不足問題の解消についても、実現が加速する。
とはいえ、自動垂直農法は今も発展途上で、その域に達するにはまだまだ課題も多い。しかしながら、企業の垣根を越えた熱いチャレンジスピリットがあれば「いつか必ず実現できる」。そうカシムは信じている。