「大企業病」を克服してベンチャー精神を呼び戻す ビジョナリーの視点 -オムロン創業者・立石一真の思考から紐解くイノベーションと企業経営:第七話

8回にわたって、稀有な技術系経営者であったオムロンの創業者、立石一真の思考と思索の跡をたどり、その成長の過程とビジネス哲学の背景を紐解いていく本コラム。

第七回目は、事業の成長に伴って組織が拡大し、トップと現場の距離が離れてしまい、意思決定が遅れたり、リスクを恐れてチャレンジを避ける「大企業病」に陥って衰退する危険に直面したオムロン社内に警鐘を鳴らし、それを克服した一真の取り組みをご紹介します。彼が目指し続けたベンチャー精神とは、どのようなものだったのでしょうか?


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ビジネスの成長に伴う代償とは?

読者の皆さんは、「大企業病」という言葉を耳にしたことがありますか? それは、会社が事業の成功を期に組織を拡充し、大企業へと成長していく過程で陥りがちな落とし穴です。

元々は積極的にリスクをとって新しいことに挑戦していたベンチャー企業でも、規模が拡大すると経営の安定を求めがちになり、また、トップと現場の距離が遠くなって社内の動きが見えにくくなることがしばしば起こります。そうすると組織が硬直化したり、社員や部門間の意思疎通も滞るようになり、ビジネスが衰退に向かう危険性もあるのです。

一真は、まだベンチャー企業という概念が一般的ではなかったときからベンチャービジネスという言葉を使い、イノベーションによる新たな産業創出を行う企業家精神の重要性を説いていました。未来を見据えて先進的な技術を開発する企業は、常に創業の原点を見失わずに新しいことに挑戦しなければならないと考えていたのです。

オムロンにも忍び寄った大企業病の影

1979年に一真は社長の座を長男に譲って、自らは代表取締役会長に就任しました。会長となった後も社業は順調で業績も良好に伸び、表面上は何か問題が起こっているようには見えませんでした。ところが一真は、創業者の勘ともいえる鋭い洞察力によって、会社の健康状態に微妙な異常が生じていることを感じ取り、「どうもおかしい」という疑問を抱いていたのです。

たとえば、違和感の1つが、レスポンスの遅れでした。工場の在庫の削減を指示しても、それまでのように迅速に減らすことができません。一真は、全社的な管理能力の衰えを実感するようになりました。

また、顧客からの要望に対応するスピード感も失われつつあったといえます。昔の立石電機であれば、セールス担当者が「こういうものができないか」という要望、つまり新たなソーシャルニーズの種をつかんで持ち帰ると、短期間で技術者がプロトタイプを開発していました。図面なしに部品を作り、組み立てて「いけそうだ」となれば客先に持ちこんでその場で正式に受注するところまで、2週間もかからなかったのです。それが2〜3ヶ月もかかるようになり、その間に顧客がほかのメーカーにいってしまうケースも出てきていました。

一真は、こうした状態こそが大企業病だと捉え、このまま放っておいては大変なことになると思ったのです。

企業家精神を見つめ直し中小企業の原点に返る

一真が、社内の大企業病を解消するヒントに気づいたのは、第6回でも触れたように、健康管理と企業経営には接点があると考えていたからでした。つまり、「症状即療法」という見方を会社にも当てはめ、レスポンスの遅れなどのもろもろの状況は大企業病を治すために顕在化した症状であると考えたわけです。そして、大企業病を直すためには、もう一度、自らの事業の出発点だった中小企業に立ち返ればよいことに気づきました。つまり、創業の原点に戻って企業家精神で働くということです。

一真にとっての企業家精神とは、イノベーションによって、つねに新しい産業を開発していくという意思の現れでした。もちろん、それを貫くためには、大変なリスクと勇気が必要です。それでも一真は、「先端的、パイオニア的な仕事をやっている企業ではつねに創業の原点に返って企業家精神を旺盛にしておかなければならない」と信じていました。そのため、大企業でありながら中小企業のように考え働くという意識改革ができれば、1955年から1970年ごろのベンチャー精神がよみがえるに違いないと考えたのです。

そのような組織が実現すると、上からの重圧もなく、自由闊達に仕事ができるようになり、天性の才能を思う存分発揮して、創意工夫三昧の仕事ぶりに戻れるはずだと一真は思いました。その結果、技術革新が相次いで新商品が次々と誕生し、企業全体が熱意を注ぎ込んだかつての研究開発の黄金時代が蘇って、ソーシャルニーズが実現されることに期待したのです。

ベンチャー精神を呼び戻した組織改革

1983年6月、このような信念に基づく組織改革が行われました。この改革には2本の太い柱があり、1本目はトップと現場の距離を近づけること、そして2本目は適正規模の小事業部を多数設けて徹底的な分権化を行い、各事業部を企業内の中小企業として運営することでした。

まず、トップと現場の距離を近づけるために行われたのは、常務以上の役員9名で構成する最高意思決定機関であった常務会の廃止です。代わりに、新たに代表権を持つ会長、社長、副社長の3人による代表会が設けられました。最高の意思決定の場であるこの代表会は週に1回のペースで開かれ、トップ自らが1週間以内に必ず裁決するクイックレスポンスを実践することになったのです。

もう1つの柱である分権化による小事業部制は、事業本部とその傘下の各事業部が大企業の中で中小企業としてベンチャー経営をおこなうことを意味します。この方針の下で、20もの企業内ベンチャーが誕生しました。

こうして一真が思い描く社内でのベンチャー精神の広がりは加速し、大企業病の克服も進んで、新体制の1年後の売上高は対前年比の27%もの伸び率を示したのでした。

世に先駆けたイノベーション創出を広めていくために

改めてオムロン社内にベンチャー精神を広めた一真は、次に、同様の精神を社外にも広げていくことを考えました。そして1990年に設立されたのが、公益財団法人 立石科学技術振興財団です。

この財団は、一真の長年の夢であった地道な科学技術の研究を支援する目的で設立されました。イノベーションによって、つねに新しい産業を開発していく、つまり、社会の新しい芽の育成を後押ししています。これは、第3回で触れた、社会の変貌を促すイノベーションの種を後押ししていくSINIC理論の実践です。人間と機械の調和を促進する研究や国際交流に対する助成をおこない、世の中の科学技術の発展やイノベーション創出に貢献するとともに、それらを通して社会的課題解決への寄与を現在も続けているのです。

助成の対象を「人と機械の調和の促進の研究」に絞っているのは、一真自身が、社会をよりよくしていくには「人と機械」の融和を促していくという、人間中心の考え方を持っていたからです。未来に向かってチャレンジする意欲的な研究テーマを広く選び、一真の経営理念である「機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野で活動を楽しむべきである」という考えを、さらに前進させていくことに財団の意義があります。

このような財団の活動をはじめ、イノベーションの創出を世に広げていくオムロンの取り組みは、途切れることなくこれからも続いていくのです。

第八回となる最終回では、「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」というオムロンの社憲が示す「企業の公器性」、そして、その理念に基づいて福祉施設と民間企業を融合した「オムロン太陽」の成り立ちにまつわるエピソードをご紹介します。

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